- 子どもが学校で孤立してしまっている理由は何だろう?
- インクルーシブ教育と特別支援学級、どちらがこの子にとって適しているのだろう?
- 学校の先生は、子どものニーズを理解して適切に対応しているのだろうか?
「シャーロットともっと時間を過ごしたいと思っています」と先生は私に言いました。
「シャーロットは学校にあまり来ないので、友達を作るのが難しいのです。」
先生と親の私は子供用のテーブルに、小さい青色のプラスチック製の椅子でぎこちなく座っていました。
親と先生の面談の日です。私は暖房のない教室で少し震えていました。
私は先生が言っていることもよくわかるので、先生によい顔をしていました。
私の発達障害の娘が、あと残りの2年間、教室で一緒に学ぶ、「インクルーシブ教育」「インクルージョン」の意義やメリットについて考える必要はもう私にはありません。
先生たちは、それが娘にベストなことだといいます。
しかし、インクルーシブ教育が現実にはつらいことであるのをわかっているのは私だけです。
私の娘は、学校のシステムでは、すぐに迷子のようになってしまいます。
娘は天才でもなければ、逆に、集中支援を必要としているわけでもありません。
ただ、おもちゃのマイリトルポニーとねこが好きなだけの、パニックになると叫ぶことがある女の子です。
多くの時間、娘は部屋の隅に静かに座っています。
学校でパニックを起こすことはほとんどありません。
しかしそうなった時には、先生はおどろきます。
先生は私の娘が不安とストレスをいつも抱えているのを忘れてしまっているのです。
先生が静かな娘を見ている時に、親の私は、パニックを起こすかもしれない時限爆弾を見ているのです。
私は娘を守るため、闘う準備をして、私なりの教育を行うことにしました。
私は、娘に役に立つと考える、多くの研究論文や記事を読みました。
私は一般の教育の教室で、私が助手になって教育を受けさせることを伝えたこともあります。
特別支援教育に関わる人たちと共同して、発達障害の子ども向けに考えられたインクルーシブ教育のプログラムを行っている学校へ転校させることもしました。
今、娘は公立の学校施設に通っています。
そこでは、親たちが春にはプランターボックスにチューリップを植え、廊下には小さな、手で丁寧に作られたネイティブアメリカンの村の模型が並びます。
私は、娘に私が想像することができる最高の教育を受けさせたかっただけでなく、この施設では、娘も他の子供たちのように、学校に来ることができるはずだというので、ここを選びました。
それを娘にいうと、娘は全くそうではないといいます。
「マイリトルポニーのように、先生を好きになれない。」と娘は言います。
私の娘のクラスメイトたちには、娘がいることでメリットがあります。
娘がパニックを起こした時には、クラスメイトは娘の周りに集まって、娘を落ち着かせようとします。
たとえ、娘がそれを望んでいなくても。
クラスメイトは娘と遊ぼうと、ゲームに参加させようとしますが、
シャーロットはポニーや子猫ごっごをしたいのです。
シャーロットがいる3年生のクラスでは、そんな遊びをしたい子はもういません。
そうであれば娘は、知らない新しいゲームに挑戦することよりも、ひとりで遊びたいのです。
最初の頃、教室での昼食の時間に、娘は一人だけになって座っているのを何度も見ました。
私の心は折れました。
私は、娘が同じではないからという理由で、仲間はずれにしている、このひどい行為に抗議をしました。
私は娘を助けようともしない、食堂のスタッフに怒りをおぼえました。
ある日、私は娘になぜ、昼食の時にひとりぼっちになっているのか、たずねてみました。
「誰も座っていないテーブルに座ることにしているの。
ひとりでいるのが好きなの。」
娘は言いました。
彼女は混雑した食堂で、小さなオアシスを探していたのです。
娘は、学校が嫌いなことを全く恥じていません。
娘は学校に行くのが嫌いです。
その理由は、教室には、あまりにたくさんの人がいるからです。
私は娘の、その正直な綺麗な目を見て思い出しました。
小さかった頃、スーパーに行ってたくさんの人を見てパニックになりそうになって、外に連れ出さなければなかった、あの時の娘の顔を思い出しました。
私には、感覚による苦しみはわかりませんが、私が闘ってきた、インクルーシブ教育のこの教室が、娘にはよいものではないことがわかりました。
インクルーシブ教育、インクルージョンへの流れは、特別支援が必要な子どもたちが増えたこと、特別支援の子どもを隔てることに抵抗があることを理由に生まれたものです。
発達障害の子どもが教室の友だちと仲良く過ごすことができれば、インクルーシブ教育はよいことだと思います。
一般の教育のクラスで、うまくいっている発達障害の子どもたちもいます。
しかし、私の娘のような、うまくいっていない発達障害の子どもは少なくありません。
誰もが一緒に過ごす、インクルーシブ教育が進められるなか、私の娘のような発達障害の子どものための選択肢は設けられていません。
私の娘のような発達障害の子どもが、学び、成長していくには必要であるにもかかわらず、一般の教育の学校で、小グループになって個別に受けるカリキュラムやサポートなどはありません。
一般教育の教室にそのまま入るか、特別支援学校に行くしかの2つの選択しかありません。
(注:これは米国での話。日本には一般教育の学校内に設けられる特別支援学級もあります。)
私は、「インクルーシブ教育」「インクルージョン」に娘の2年間の時間を費やしてしまいました。
学校での娘の時間を半日に減らし、一般教育の教室で過ごす時間を午前中だけに減らしました。
午後は発達障害の療育センターで過ごすようにしました。
そこには、娘が好きな静かな療育ルームがあり、療育の先生もいます。
その先生もマイリトルポニーが大好きです。
娘は間もなく、学校には行かずに一日中、療育センターに通いたいと言うようになりました。
そうして、わずかな時間で娘は本を読むことができるようになりました。
娘は、学校での半日を過ごす12週間のうちに、前の2学年の期間よりも、多くを学習し成長をしました。
先生との面談の一週間後、私は娘を学校から、療育センターに連れていきました。
その時娘あてに、白いぬいぐるみの猫で遊んでいる2人の小さな女の子の絵が描かれている絵が電子メールで届いていました。
娘が描いたのかをたずねると、娘は頭を横に振りました。
学校の先生は、その日、デイジーという女の子と娘が遊んだことを教えてくれました。
デイジーも、恥ずかしがりながら、娘のシャーロットの絵を描いたことを伝えてくれました。
私は、娘のシャーロットが一緒に描かれているこの絵をみてとてもうれしくなりました。
娘に友だちがいる!
しかしシャーロットは、全く気にもせず、ドアの外にいてぬいぐるみの猫の長い白い尾を振り回して遊んでいました。
(出典:米The Washington Post)(画像:Pixabay)
これを読むと、日本においての一般の学校内に設けられる特別支援学級のようなしくみが、米国のここではないようです。
それができたからといって「インクルーシブ教育」「インクルージョン」で子と親が現実に直面する問題が全てなくなることがないのは言うまでもありません。
うちの子どもは重度だったので、迷うことなく特別支援学校で、ここまで親子ともに楽しく過ごせています。
兄弟が通う普通の学校には、特別支援学級が設けられていますが、普通学級の子と交流することもあまりないようで、兄弟からは交流した経験もないように聞きます。
同じ建物にいるだけ、多くの子どもから違うと思われている集団、という印象を持ちます。
私が子どもの頃に学校でみた、今でいう発達障害の子へのふつうの子どもの態度もありますので、うちの子は特別支援学校でよかったと正直思います。
別途、施設や先生方を設けるには多大なコストがかかるので、その他の合理的な理由もあるので特別支援学級を全く否定するものではありません。
しかし、それではインクルーシブ教育の目指す姿とは、距離があるものに映ります。
インクルーシブ教育で、問題に直面し、親たちに望まれた学校もあります。
家族が求めた障害ない子と一緒にしない学校
(チャーリー)