- 発達障害があってもスポーツに取り組める方法はありますか?
- 医師から否定的な診断を受けても、どのようにしてポジティブな意識を持ち続けることができますか?
- 発達障害を持つ人が啓蒙やチャリティ活動を通じて社会に影響を与える方法は何ですか?
医師からもう歩けないと言われた彼女は今ボクシングジムでトレーニングをしています。
ポール、ステファン、そしてリアム・スミスの兄弟は発達障害の啓蒙のためのチャリティフェスティバル、サンタ・ダッシュに参加します。
スミス兄弟の友人であり、トレーニングをしている彼女は21歳のケイティ・ダレイ。
発達障害、てんかん、過剰運動症候群があり、車椅子の生活を3年を過ごしました。
彼女もサンタ・ダッシュに一緒に参加します。
ケイティは子供の頃からボクシングの熱狂的なファンでした。昨年から筋肉を鍛えるためにジムに通い、そこでスミス兄弟に出会いました。
そのジムのコーチは、ケイティは尊敬する自分たちの代表的な存在で、障害のある若者たちにとって輝かしい存在だと言います。
「ボクシングは私が小さな頃から、大好きです。
大きくなったら、ボクサーになろうと決めていました。
医者からは私はずっと車椅子の生活になると言われました。
私は言いました。見てなさい!
昨年、なんとかがんばって、車椅子を使わなくてもよいようになりました。
しかし、それまでおよそ3年間、本当に歩くことが出来ませんでした。
ボクシングは私の人生です。
スミス兄弟は私のヒーローです。
兄弟たちはヒーローなんかじゃなくて、親友だと言ってくれます。」
ケイティがそう語ります。
ケイティは母親の妊娠時には問題はありませんでしたが、出産時、臍帯がケイティの首にしまり、2分間呼吸をすることができませんでした。
ケイティはもう車椅子の生活には絶対に戻らないと言います。
週に3,4日、2時間程度トレーニングをしています。
「ここに来続けて、レベル1のコーチになるコースを受けられるようになりたいと思っています。
車椅子の生活には戻りたくありません。
自分の二本の足で立てるのはとてもうれしいです。
苦しい日があっても、それは自分の一部になります。
あなたには無理。そんなことは起こらない。
そう言われた時、私はそんなこと聞き入れない、そんなこと気にしないと考えました。
このジムに来て、私はとても救われました。」
ジェラルド・スターキー、このジムのコーチが言います。
「ケイティが初めてここに来たのは2015年の3月。その時は足に歩行器を着けて歩いていました。
バッグを打つことから始めました。
もっと動けるようになると、私たちが持つミットを打つようになりました。
時間をかけて、彼女ができるようにサポートを行ってきました。
彼女はここを愛してくれています。
ケイティは私たちにとっても、お手本となる存在で、私たちを代表する存在です。
今の彼女を止めるものはありません。」
スミス兄弟の妹は、生後16ヶ月で発達障害と診断をされています。
そうしたことがあり、スミス兄弟は発達障害の啓蒙活動を行っています。
ステファン・スミスはケイティのことを「元気をくれる人」だと言います。
「疲れたりして、1日何もする気が起きなかったら、ここに来ているケイティのことを思い出してください。
自分も頑張ろうという気になります。
ケイティは本当に信じられないような人です。
彼女を止めるものは何もありません。
ケイティは、みんなを奮い立たせてくれます。
そして、だれも追いつけません。」
(出典・画像:英ECHO)
障害のある方から元気を頂いたり、障害のある方を尊敬したり、障害のある方から大いに学ぶことがあります。
「障害」と書くとその表記について、「障碍」や「障がい」と書くべきという考えがあったりします。
私はそれにあまり興味がありません。
「害」という漢字に負のイメージがあるからだとすれば、「障」の字にも差し障るというように、妨げる、嫌な感情を持たせる、などの負のイメージがあります。
であれば、「しょうがい」と書くべきです。
しかし、文字を変えて少しばかり印象を変えたところで、そんな安易なことで、事実や事態は変わるのでしょうか。
私が興味をもたないのは、何より本質的に私の捉え方と異なるからだと思います。
障害のある方とは、その方が、誰かや社会の「障害」になっているわけではありません。
その方や社会にとって「障害」と呼ぶべき事態に巻き込まれ、直面している方、というふうに思います。
そのような事態と対峙し歩んでいる方なので、私は元気をもらうことがあり、尊敬することがあり、大いに学ぶのです。
こちらの方も元気になることを見せています。
発達障害の青年が語る。出口は明るい。
(チャーリー)