- 自閉症の診断基準は文化によってどのように異なるのか?
- 早期チェックはどのような影響を子どもに与えるのか?
- 親の認識は自閉症の診断や支援にどのように影響するのか?
アメリカや西ヨーロッパでは「危険信号」とされる行動が、他の地域では普通、むしろ好ましいとされることがあります。
自閉症とは何か、そしてどのように診断されるべきか。その基準は世界共通ではありません。
自閉症の定義そのものが文化に大きく左右されるという現実を認識することが必要です。
まずアメリカに目を向けると、幼い子どもの自閉症を診断する最適な方法については、非常に早い段階から議論が行われています。
たとえば、アメリカ小児科学会は、生後18か月と24か月の時点で自閉症の早期チェックを実施することを推奨しています。
しかし、最近、アメリカ予防医療サービス作業部会は「親や医師が特に心配していない場合、自閉症の早期チェックを行うことが本当に役立つのかを証明する十分な根拠がまだない」と発表しました。
これにより、早期チェックを実施するかどうかは医療従事者や家族の判断に委ねられています。
このため、親や医師が幼い子どもを支援するために取るべき行動に迷いが生じる可能性があります。
アメリカ小児科学会はこの分野でのさらなる研究を求めつつも、自閉症の早期チェックの継続を推奨しています。
このチェックを行わないことで、早期発見や早期介入が遅れる可能性があるからです。
自閉症には単一の検査法が存在しないため、診断は観察される行動に基づきます。
とくに幼い子どもの場合、診断のチェックは親が観察した行動に依存しています。
たとえば、視線を合わせる傾向があるか、他人と関係を築けるか、言葉の発達の節目を迎える時期、特定の反復的な動作や遊びのパターンがあるかなどが評価の対象です。
これらの診断基準を考えると、ヨーロッパ系アメリカ人の「普通」の概念に基づいていることが分かります。
しかし、これらの基準はアメリカ国内の多様な文化グループや、さらには異なる国々でも広く適用されています。
これは注意が必要です。
医師、教育者、政策立案者が自閉症として認識する行動が、異なる地域では異なる意味を持つ可能性があるからです。
たとえば、視線を合わせることに注目すると、ヨーロッパ系アメリカ人の多くの家庭では子どもが他人と視線を合わせることを奨励します。
しかし、これは普遍的な習慣ではありません。
ある文化では、特に子どもが大人と接する際に視線を合わせることは失礼とされます。
サンドラ・ワックスマン博士の研究では、アメリカ国内外の多様なコミュニティで、こうした文化の違いが観察されています。
ネイティブアメリカンのコミュニティや中南米の地域では、ヨーロッパ系の子どもと比較して、大人と視線を合わせる頻度が低い傾向があります。
同様に、南エジプトでは、子どもが権威者(例えば医師)に対して視線をそらすことは「恥じらい」として理解されています。
また、自閉症の診断には、子どもが見知らぬ大人とどのように遊ぶかが指標として使われることもあります。
しかし、この行動も文化的背景によって大きく異なります。
たとえば、農村部のケニアやアメリカの一部の地域では、子どもが大人と遊ぶことは珍しく、見知らぬ大人に対して警戒心を抱くのが普通とされています。
言語発達も診断の重要な要素の一つです。
とくに、子どもが言葉を話し始める時期やフレーズを使い始める時期が観察されます。
この分野では、言語習得の主な節目が世界中でほぼ一貫しているため、診断のより確実な基準となっています。
しかし、異文化の大人に対して話すことを嫌がる子どももいるため、この点にも注意が必要です。
サラ・バウアー博士は、自閉症に特化した医療教育を行い、アメリカ国内および東欧・南欧の家族やセラピスト、医師と広く議論してきました。
彼女の経験からは、診断を行う際にその子どもの文化的背景を深く理解する人々と連携することの重要性が示されています。
子どもの発達が周囲の人々によってどのように見られるかが、その子どもの成長に影響を与えることは間違いありません。
親が自閉症をどう認識するかは、親が子どもを友人や家族にどのように紹介するかに影響します。
親の受け止め方は、自閉症診断を受けた際の反応や、推奨された支援を受け入れるかどうかにも影響を与えます。
一部の家族にとっては、その行動が自閉症として認識されない場合もあるのです。
私たちは、自閉症の診断基準を考える際、ヨーロッパ系アメリカ人のコミュニケーションや行動の基準を超え、より包括的でグローバルな視点を採用すべきだと提案します。
診断において重視される行動が、文化や個人によって大きく異なるためです。
(出典:米Scientific American)(画像:たーとるうぃず)
米国からの情報では、やたらと「アイコンタクト」にまつわるものが多いのですが、日本ではそこまで重視されないだろうとよく思います。
国や文化によって、捉え方が異なるのはその通りだと思います。
(チャーリー)