- 自閉症は才能として捉えるべきですか?
- 自閉症の人はどのような支援を必要していますか?
- 自閉症の個々の違いや多様性をどう理解すればいいですか?
自閉症に関しては、治すべきものと考える人がいます。
しかし、一方で自閉症の人やサポートする人たちには、自閉症を「特別な才能」としてとらえることを好む人もいます。
私たちを病気や障害として描く物語を嫌います。
しかし、特別な才能としての自閉症とは、実際には何を意味するのでしょうか?
自閉症は、自閉症であるすべての人間と同じくらい複雑で多様です。
社会心理学者のデヴォン・プライスはこう述べています。
「自閉症の人たちにとっての主な闘いは、自閉症でない人たちが私たちを完全に形成された、複雑で、美しく、興味深く、価値のある存在として見ようとしないことです。
私たちが必要としているのは受容であって、治療ではないのです」
自閉症は人間性と同じで、複雑で、困難で、素晴らしく、悲劇的で、魔法のようであり、時にはそれが特別な才能になることもあるでしょう。
2022年のウディンらの研究では、特別な才能としての自閉症という考え方を深く掘り下げています。
自閉症の人の一部を、「twice-exceptional」(二重の例外)と表現しています。
これらの人たちは、標準をはるかに上回る高い認知機能と特別な孤立したスキルを持っています。
「ASDと診断された人のうち、少数ではあるがかなりの人たちが、1つ以上の領域で卓越した認知能力を示している。
このような二重の例外な人は、潜在的に労働力に大きく貢献できるような独自のスキルを持っていることが多い一方で、同時に、サービスの欠如や彼らの状態に関する世間一般の誤った認識のために、自立した生活への移行期に独特の困難に直面する」
2015年のメイロアらの研究では、自閉症の人の60パーセントが、特別なスキルを持っていることを発見しています。
これらの技能は多岐にわたります。
そして、通常は健常者のそれをはるかに上回るものです。
数学、科学、記憶、読書、パズル、音楽、芸術などの分野で特別な能力を持つ人がいます。
こうした能力を持つ人は、「サヴァン」と呼ばれることもあります。
私にもいくつかの特殊技能があり、それは生活のいくつかの分野で明らかに有利に働くことがあります。
たとえば、私は自分が大切にしている物事を非常に詳細に記憶する能力を持っています。
このような能力は、強みに思われ、弱みには思われません。
ウディンらの研究では、「特別な才能」について分類しています。
彼らは「二重の例外」な人たちについてこう述べています。
「平均以上の知能と認知機能を持ち、サヴァン型の特殊能力を持っている。
これらの人々は、大衆文化が自閉症が『特別な才能』である象徴として持ち上げる人たちである。
しかし、特別な才能を持ちながら、同時に他の領域で深い欠陥があり、日常生活に大きな困難をかかえている自閉症の人たちもいる」
そして、こうも述べています。
「自閉症の人の40パーセントは、特別な才能を持たず、認知機能が低く、複数の障害を抱えていることも重要である。
つまり、自閉症は特別な能力となりうるが、その言葉でまとめられるよりもはるかに複雑であり、研究によれば、二重に例外な人たちでさえ、社会性やコミュニケーションの困難さなど、自閉症に伴う他の苦難と闘わなければならない」
なので、自閉症を「特別な才能」と言ってしまうときには、注意が必要です。
私は「特別な才能」という考えは好きです。
自閉症の人たちや支援者が、「自閉症は病気であり、人生を破壊する障害である」という物語と闘っていることも好きです。
しかし、自閉症の「特別な才能」という側面だけに注目するのには問題があります。
他の自閉症の人たちのさまざまな葛藤を認めないことは、助けを必要とし、障害者サービスにアクセスする必要のある人たちに困難をもたらす可能性があるからです。
自閉症は特別な才能である。
その考え方は、諸刃の剣なのです。
調査によれば、この考えを受け入れる人が増えれば増えるほど、自閉症でない人たちが自分たちの支援の必要性を認めなくなっていきます。
自閉症の人たちの支援者は、バランスの取れたアプローチを主張しています。
自閉症の人は障害者コミュニティ以外の人たちからの支援や便宜を求めなければならないと考えているからです。
自閉症の人はそうでない人たちが多数の世界の中で支援を求める必要があります。
そのため、私は「特別な才能」という考えをを完全に受け入れることはできません。
私たちは特別な能力を持っているかもしれませんが、それでもサポートが必要なのです。
また、自閉症そのものを「特別な才能」と呼ぶのは、それを持たない多くの自閉症の人に対してフェアではありません。
多くの人は苦労しているばかりで、自閉症の特別な能力という側面を見ることは難しいためです。
私は自分のことを幸運だと思っていますが、自閉症に伴う苦難しか知らない多くの人たちと働いています。
自閉症は「特別な才能」になる可能性はあります。
もしあなたが「特別な才能」や「ギフト」を持っているなら、それを祝福してください。
たとえそれが小さなものであっても、喜ぶ価値があります。
しかし、自閉症は祝福であると同時に障害でもあることを忘れてはなりません。
私たち自閉症の人はそれぞれ一人ひとり異なり、そのバリエーションは無限です。
この多様性は「特別な才能」のように見えることもあれば、障害のように見えることもあります。
私たちは皆、ユニークな存在なのです。
それこそが、私たちがもつべき考えです。
自閉症は人のあり方のひとつであり、劣るものでも優るものでもありません。
(出典:米Psychology Today)(画像:Pixabay)
全く同感です。
私は「ギフテッド」という言葉も好きではありません。
生まれながらの違いに対して、優劣を評価をしているように感じるからです。
それでは、障害に対する差別と変わらないように思います。
ただ、違うだけです。何も纏うことなしに、それでいいじゃないですか。
「赤、白、黄色、どの花見ても、きれいだな〜♪」
(チャーリー)