- カサンドラ症候群とは何か?
- 定型発達の人と発達障害の人との関係で何が問題となるのか?
- カサンドラ症候群に苦しんでいる人たちはどのような支援が必要なのか?
人生の後半になってから、自閉症スペクトラム(ASD)と診断される人は少なくありません。
そして、そうした診断がされる前の男性と結婚した、定型発達の女性の多くが共通する経験をしています。
パートナーが発達障害であるのではないかと思うようになります。
しかし、パートナーとの生活がどのようなものか、他人に説明しようとしても、誰もわかってくれないのです。
この現象は「カサンドラ症候群」として知られるようになりました。
その名は、ギリシャ神話に登場する、未来を見通す能力をもっているものの、誰も彼女の予言を信じないようにアポロンに呪いをかけられた巫女にちなんだものです。
ASDの心理学者であるケニス・ロバーソンはこう言います。
「自分の課題を隠して、周囲には明晰で思慮深く、思いやりがあり、繊細で共感的であるように見える、発達障害のパートナーはめずらしくありません。
それが、一種の認知的不協和を生み出すのです」
カサンドラ症候群は人間関係のトラウマの一種で、複雑なPTSDの範疇に入れる専門家もいます。
しかし、それの不安、怒り、過敏性、解離などの症状は、一つのトラウマ的な出来事の結果ではありません。
「継続的」な、親密さや社会的なつながりの欠如、感情的な剥奪、深い不調和な関係から生じます。
会員制サポートグループ「ヒーリング・カサンドラ」の創設者であるマーゴット・アレクシスはこう言います。
「セラピストのところに行くころには、とても取り乱しているのに、それまでずっと我慢しています。
また、女性は『ヒステリー』というレッテルを貼られることも多くあります」
一方、ASDの男性は、とても冷静沈着であることが多くあります。
彼らは、自分の外れた行動がパートナーの感情的な幸福にどのような影響を与えるのかに気づいていません。
そして、多くの場合、彼らはパートナーの自分に対する見方に異議を唱えます。
それも、とても説得力があるものです。
そのために、「カサンドラ関係」にある多くの女性が、自分自身の判断や正気を疑うようになります。
「それは、自己不信、内なる混乱を残します。
何年も巻き込まれます」
しかし、ASDコミュニティのメンバーの中には、カサンドラ症候群の概念は、伝統的な性別やジェンダーロールに当てはまらない人たちの経験を無視していると考えている人もいます。
ある研究論文はカサンドラ症候群は自閉症に対するステレオタイプな理解に大きく依存していると指摘しています。
心と体の性が一致していて、異性が好きであるという、定型発達の人たちの信念体系がカサンドラ症候群の考えを誇張していると述べているのです。
そのため、自らが自閉症の女性や性別の多様な人は必ずしもカサンドラ症候群に共感しないかもしれません。
実際、カサンドラのオンライン支援グループの多くが「女性限定」と明記しています。
しかし、カサンドラであることを自覚している人たちは、鬱積した怒りがあまりにもリアルに蓄積されるのを経験します。
ASDのパートナーとの経験について、何年も他者から不信感を持たれ、否定され続けてきたことでフラストレーションを感じているのです。
「定型発達の女性の多くは、他のカップルが持っているような関係を望んでいるため、多くの苦味や憤りを持つ傾向があります」
アレクシスは、共感を示すことが、カサンドラ症候群を超えるための第一歩であると述べています。
ASDのパートナーの脳は、定型発達のパートナーの脳とは異なる配線をしていると言います。
「たとえば、私の夫は目が見えない。そして、私が芸術家だったとします。
私が夫のところへ行き、言います。
『私が描いた美しい絵を見てください』
しかし、夫はそれを見ることができません。
それと同じことです。
発達障害をかかえる人に、定型発達の人と同じように社会的な合図を読んだり、行動することを期待することは、現実的ではないのです」
カサンドラ症候群にある人たちは、同じような境遇の人たちとつながることで、女性たちは人間関係を改善し、内面的な幸福を得るための教育や力を得ることができます。
アレクシスと「カサンドラ女性」の仲間は、夫が自分の診断を受け入れた後も、お互いを支え合っています。
自分の幸せに責任を持つことが、カサンドラ症候群を治す鍵になると、アレクシスは言います。
「定型発達の人のコミュニケーションスキルを、ASDの夫が身につけられるように手助けすることも、その救いになります」
ASDのパートナーとの関係を強化するために、現実的な期待を抱くこと、自閉症について調べること、サポートシステムとつながることを勧めています。
(出典:米Psychiartist.com)(画像:Pixabay)
目にする言葉でしたが、そういう体験、そういう由来だったのですね。
(チャーリー)