- 自閉症とジェンダーアイデンティティにはどのような関係があるのか?
- 社会文化の性別規範に従うことが難しいのはなぜか?
- オーティジェンダーとは何ですか?
英国の24歳のコンテンツクリエイターであるリーン・ヤオは、幼い頃から自分のジェンダーアイデンティティに強い違和感を抱いていたわけではありません。
リーンは人々が自分を女性とみなすことを気にしていませんでした。
しかし、「女性らしく」見えるように化粧をするような特定の慣習には共感していませんでした。
リーンは自分が自閉症であることがその一因だと考えています。
自閉症の人のなかで少なくない人が、社会規範に従わなければならないとは感じないからです。
「社会における性別役割分担は、人々が当たり前だと信じている考えのようなものです」
そう、リーンは言います。
現在、リーンは自分自身を表現するために「オーティジェンダー」(オーティズム:自閉症 + ジェンダー)という言葉を使います、
「自閉症は私の切り離せない一部です。
私の性格やアイデンティティに影響を与えているものです」
リーンは、自分の性自認(通常、シスジェンダー以外のもの)が自閉症と関係していることを表現するために、「オーティジェンダー」というラベルを受け入れています。
自閉症を専門とする心理療法士、ミシェル・ハントはこう言います。
「オーティジェンダーであることは、二元的で特定の箱に入れられた、発達障害でない人たちの性別の規範に従わないことを意味します」
認可臨床心理士であるコリー・ゴールドバーグ博士もこう言います。
「この概念は、人の性別は、その人の神経多様性と密接に関係しているという考えに基づいています。
オーティジェンダーは、自閉症の人が自閉症の文脈の中で、自分の性別のラベルについて考えたり、あるいは性別のラベルの欠如を知るものです」
オーティジェンダーは通常、ノンバイナリーや出生時に割り当てられた性別とは別の性自認も持っていたりする、とゴールドバーグ博士は言います。
たとえば、出生時は男性とされながら、自閉症であることが関係し「男性らしさ」のある側面に共感できない人は、オーティジェンダーであると考えられる可能性があります。
「『男』『女』という伝統的な二元的なジェンダー表示は、自閉症、発達障害などでない人たちによって構築・定義されたものです。
そのため、自閉症の人たちは、自分の個人的なジェンダー体験とその伝統的なラベルとを結びつけられないかもしれません」
そうゴールドバーグ博士は言います。
「自閉症の人には社会規範を理解しない傾向があります。
それは、自閉症の人たちの考えが反映されたものでないからです。
これにはジェンダーや性的指向も含まれると思います。
自閉症の人たちの間では、ジェンダーを白黒ととらえられないことで、自分をジェンダー不適合、ジェンダーフルイド、ノンバイナリー、トランスジェンダーなど、そのように考える人は増えると思います」
そう、 臨床心理士のハントは言います。
実際、それを指摘する研究があります。
2020年の”Nature Communications”に掲載された研究によると、トランスやジェンダー多様な人たちは、シスジェンダーの人々よりも3~6倍も自閉症である可能性が高いことがわかりました。
25歳のノンバイナリー、オーティジェンダーのガブリエル・ウィルソンはこう言います。
「自閉症でない人と一緒にいるとき、彼らは私に、通常性別に応じたある種のパフォーマンスを求めていることがわかります。
一人でいるとき、あるいは他の自閉症の人たちの周りにいるときには、私には性別はないし、身につける必要もありませんでした」
自閉症の人の性別に関わる問題は、感覚過敏など他の自閉症的特徴とも関係があるかもしれません。
例えばヤオは、「うっとしいほどベタベタする」のが理由で化粧をしません。
また、他の理由で、生まれつきの性別に期待されていることと、自閉症の特性が矛盾していると感じる人もいます。
31歳の大学院生、ハンナ・ディーンはこう言います。
「私が文字通りの直接的な表現をしていると、『攻撃的』だと言われます。
なので、それを隠すために静かにしていると、今度は『もっと話せ』と言われます。
また、ADHDや自閉症に伴う実行機能障害のせいで、女性につきものの家事労働をするのが私には難しいんです」
ゴールドバーグ博士はこう言います。
「すべての自閉症の人が、自分自身や自分のジェンダー体験をオーティジェンダーとラベル付けしているわけではありません。
自閉症、発達障害でない人と同じです。
シスジェンダー、トランスジェンダー、その中間など、さまざまなジェンダー・アイデンティティーを持っています」
(出典:米Men’s Health)(画像:Pixabay)
多様なんです。
それを無視する時代はもう終わりました。
人は多様であることをそれぞれが認め、多様を喜べるようになることを願います。
(チャーリー)