- 自閉症の大人は多いのか?
- 自閉症は時間の経過とともに変化することがあるのか?
- 自閉症の人たちは自分の障害を「卒業」できるのか?
神経の発達は、自閉症の人たちであっても、誰にとっても年齢とともに変化します。
しかし、だからといって、自閉症がなくなるわけではありません。
自閉症スペクトラム障害(ASD)は、社会的環境でのコミュニケーションの困難や、反復的な行動などをもたらす発達障害です。
自閉症についての話題では、多くは自閉症の子どもを対象とすることが多くなっています。
そのため、成人の自閉症は多いのか、また、自閉症が時間の経過とともに変化することがあるのか、疑問に思われることがあります。
自閉症がどのように現れるかは、人それぞれにによって異なります。
しかし、自閉症でなくなることはありません。
「自閉症は、オンとオフができるスイッチのようなものではありません。
自閉症とは、その人たちが適切なサポートとガイドを得るのを助けるために識別するためのものです」
そう、神経科学者で作家のニコル・テトロー博士は言います。
発達障害の人も含めて、誰もが、異なる速度で成長していきます。
「人間の体は非同期的に成長します。
つまり、脳の各部位もさまざまな速度やタイミングで成長し、独自に発達します」
しかし、自閉症の人たちの中には、年をとるにつれて、異なる対処法を身につける人もいます。
例えば、刺激に対する嗜好は、自閉症の人が自己鎮静のためのさまざまな方法を見つけることによって変化するかもしれません。
臨床ソーシャルワーカーとセラピストの資格を持つダイアン・グールドは、自閉症の人は、特に必要なサポートを得ると、より適応的になることができると述べています。
一方で、自閉症の人が成長するために必要なサポートや配慮を受けられないと、逆に、より硬直的になり、不安になり、世界と関わろうとしなくなる可能性があるとも述べています。
自閉症の人が自分の障害を「卒業」できるかどうかを問うことは、潜在的に有害であり、自閉症を彼らのアイデンティティの一部として認めることに失敗してしまいます。
自閉症の人たちは、自分が変わらなくてはいけないと感じる必要はありません、その期待をかけることは、人格の根本的な部分を抑圧してしまうことにもなりかねません。
他人を喜ばせるために自分のアイデンティティを隠してしまう、一部の自閉症の人たちもいます。
そうすることで、外見上は自分の障害から変わった、あるいは「成長した」ように見えるかもしれません。
「このことは、彼らにとって大きな負担となり、時には彼らを壊してしますこともあります。
私たちは、そうしたマスキングを助長しないように注意し、その代わりに、自閉症者のありのままの姿を尊重することを学ぶ必要があります」
そうグールドは言います。
自閉症をその人のアイデンティティの一部として受け入れるということは、その人の行動を変えることを目指すのではなく、その人独自の強みをサポートするということです。
「自閉症とする識別は、人々がそれを欠陥ベースと考え、または修正する何かがあると思う、誤解される可能性があります。
そしてそれは、その人を見なくもしてしまいます」
テトロー博士はそう言います。
自閉症の子どもたちが生まれつき持っている情熱や興味に寄り添うように励ますことは、長い目で見れば有益であるといいます。
そして、「ニューロダイバージェント」という言葉を使うことで、自閉症の人は仲間はずれにされるのではなく、理解されていると感じることができます。
自閉症の大人は、外見的な症状が目立たない場合、誤診されることがあります。
場合によっては、自閉症者が別の疾患と誤診されることもあります。
グールドはこう言います。
「多くの少女や女性が、自閉症であるにもかかわらず、不安障害やADHDであると診断されてきました。
ADHDと(反抗挑戦性障害)ODDがあり、アイコンタクトを取り、想像力があり、社会的な意欲があるので、自閉症であるはずがないと言われてきたのです」
誤診された結果、自閉症スペクトラムである可能性のある人たちが、必要なサポートやケアを受けられなくなってしまいます。
また、「自閉症は治るもの」という考えは、自閉症の人が本当の自分を隠したり、覆い隠したりする原因となります。
自閉症と診断されれば、時間とともに消えたりすることはありません。
しかし、ニューロダイバージェントが年齢を重ね、成長するにつれて、まわりの人と同じように、世界とどのように関わっていくかは変わっていきます。
適切な支援体制と配慮があれば、自閉症の人の健全な発達とアイデンティティの探求を支援することができます。また、専門的な治療を行えば、自閉症の人は刺激に対処したり、併存する精神疾患に対処したりすることもできます。
(出典・画像:米Psych Central)
そうでない人と、良い、悪いでなく、違うだけ。
違うという認識だけでは足りない、支援を必要とする方には適切な支援が行われる。
そうあってほしいと願います。
(チャーリー)