- 自閉症を持つ人が対面での会話に苦労する理由は何か?
- 自閉症を持つ人がビデオ通話を通じてコミュニケーションを取ることでどのようなメリットがあるのか?
- 自閉症を持つ人がコミュニケーションをとる際に困難を感じる点はどのようなものか?
言葉やコミュニケーションの問題は、自閉症の特徴の1つです。
自閉症をかかえる私にとって、対面での会話は決して簡単ではありません。
顔の表情に惑わされ、声のトーンが違うと不安になります。
ボディランゲージは不可解で、推論は困難です。
ほとんどのジョークを理解できず、他の人よりも目を合わせません。
子どもの頃の私は、両親に自分の趣味について息が詰まるほど話していたかと思えば、学校では誰とも一言も話さずに過ごしていました。
大学の通信教育を受けていたときには、対面式のチュートリアルに参加したものの、いつも圧倒されて無言になり、家に帰ってラップトップの画面の後ろに隠れたいと思っていました。
大学院の最初の2年間は、学部内で話しかけてくる人がいるのではないかと心配して、キャンパスに行かないこともありました。
学会では、みんながコーヒーを飲みながらおしゃべりしているのに、私は隅っこや静かな部屋で麦のビスケットを食べているだけでした。
私のことを誰よりもよく知っている指導教官とのグループミーティングでも、私は苦労しました。
恥ずかしながら、他の人が話をしている最中に、自分のアイデアを口走ってしまうこともありました。
また、スピーチを頼まれても、頭の中で考えていることと一致する言葉が見つからず、口ごもってしまうことが多くありました。
しかし、2020年3月26日、その状況は一変しました。
英国初のコロナウイルスによるロックダウンが始まって3日目、突然のキャンパス閉鎖を受けて、私の指導教官からメールが来たのです。
「しばらくの間、大学のキャンパスは使えません。
私たちにできることは、Zoomを利用することです。
来週にでもやってみませんか?
そして、意見を聞かせてください。
でも急がなくていいよ、準備ができてからでいいから」
面と向かって話をするだけでも大変なのに、使ったことのないソフトウェアを使ってバーチャルな会話をするなんて、どうしたらいいのだろうかと不安になりました。
しかし、他に方法はないかと考えても、いつも行き詰まってしまいました。
パンデミックやロックダウンはすぐにはなくならないし、指導会議の中断をメールだけで埋めることはできません。
博士課程を続けるためには、勇気を出して対話を再開しなければなりませんでした。
翌週、初めてのバーチャルミーティングの「参加」アイコンをクリックしました。
私は大きな不安と恐れを感じていました。
画面は、私がデビューしたZoomパフォーマンスの初日に劇場の幕が上がるように真っ暗で、不吉な「ホスト」が私を入れてくれるのを舞台裏で待っていました。
突然、画面が切り替わり、私の教官の2人が私の目の前に現れました。
ただし、これまでとは違います。
小さなビデオ画面に映っているだけでした。
怖くもなく、無害で、スクリーンの中にしっかりと固定されていました。
「聞こえますか?」 そう、一人が言いました。
もう一人はこう言います。
「ごめんね、まだこのビデオ会議に慣れなくて」
「大丈夫、初めてだけど、私も慣れてきたよ」
そう言ったのは私でした。
私は私におどろきました。
これまで、私が発言するためには、直接質問されたり、かなりの頻度で促されたりしなければならなかったからです。
その私が、ごく自然に発言していたのです。
その後、会話を重ねるうちに、私はこの新しいコミュニケーション方法が好きになっていきました。
アイコンタクトやボディランゲージに悩まされることもなく、ただスクリーンを見ていればいいのです。
また、頭や肩が見えるだけなので、恥ずかしさや後ろめたさを感じることなく、自由に自己刺激の行動もとれます。
(自己刺激とは、不安や緊張を和らげるために反復的な動作を行うことです。
私は手をバタバタさせたり、体を優しく揺らしたり、足をぐるぐる回したりしています)
さらに、ビデオ通話で発生するタイムラグは、会話を構成するのに役立つだけでなく、自分のペースを保つための貴重な処理時間を確保することにもなりました。
そして何よりも、Zoomでは、従来の会話では圧倒されていた多くの感覚的な刺激と戦い続ける必要がないことに気がつきました。
オフィスの息苦しさや外の雑音に悩まされることもありませんでした。
もちろん、自宅でも騒音はあります。
交通量の多い道路の音や、断続的なパトカーのサイレン、ビデオ通話中の鳥の鳴き声などが聞こえてきます。
しかし、それは日常生活の中で慣れ親しんだ、私が対応できる騒音です。
30分ほどのミーティングが終わると、私はいつも手を振って笑顔を見せ、2週間後に教官と再会できることが楽しみになりました。
最初のミーティング以来、私はもう数え切れないほどのビデオ通話をしました。
今年は、これまでの20年間で最も多くの新しい人に会いました。
本当に素晴らしい研究者たちとネットワークを築き、連絡を取り合いました。
国際的な会議で発表したり、パネルディスカッションに参加したりもしました。
また、Zoomの使用はこうした学業、仕事だけにとどまらず、それ以外の人とのネットワーク作りや社交にも役立っています。
自閉症のLGBT+の人、マイノリティの地球科学者、障害のある博士課程の学生など、共通の興味や経験を持つ知り合いが世界中にできました。
しかし、ビデオ会議が完璧だというわけではありません。
会話の前には極度の不安に襲われ、通話中には自分でも吃驚してしまいます。
会話のたびに疲れてしまうので、、一人で静かに過ごす時間もたくさん持たなければなりません。
また、自閉症でもそうでなくても、「すっぽかされて」気分がいい人はいないはずです。
しかし、全体的に見て、これでコミュニケーションを取ることで、初期キャリアの研究者として、共同研究者として、そして他の人と知り合う上で、私自身は成長したといえます。
Zoomが何よりも教えてくれたことは、自閉症の人にも声があるということです。
それは、最も大きな声でも、最も甘い言葉でも、最も理解しやすい声でもないかもしれません。
心の奥底に埋もれていて言葉にできなかったり、表面に出てくるまでに何年もかかったりするかもしれません。
でも、ちゃんとあるのです。
そして、もし自閉症などでない人たちも、私たち自閉症の人とコミュニケーションをとるための方法を模索し続けてくれれば、それがアート作品であれ、モノであれ、写真であれ、音声録音であれ、メッセージングであれ、アプリであれ、ソーシャルストーリーであれ、文章であれ、そして今回の場合はビデオ会議ですが、嬉しい驚きを感じることができるかもしれません。
私も仕事でのミーティングは、今は全てリモートです。Zoomやmeetなど。
自閉症の人が得たこうしたメリットなど、たくさんの人に多くのメリットがあるので、ますます当たり前になるはずです。
(チャーリー)