私は目に見える身体的な障害を持っています。
障害者とは目に見える障害を持つ人だけに適用されるものではありません。
発達障害や知的障害など目に見えない障害を持つ人たちにも同じように当てはまります。
一見すると障害についてわからない状態で生活しているため、直面している困難やその言葉の重みを知らない人たちから、より傷つくようなことを言われることがあります。
障害をかかえる人でも、目に見える障害を持つ人と、目に見えない障害を持つ人とでは、社会の偏見に遭遇する経験が大きくことなります。
しかし、障害のない人たちには、その違いは明らかでないでしょう。
私は、赤ちゃんのときから体を動かすのに不自由な障害のために、誰にも自分の障害を説明する必要はありませんでした。
そして、私は自分が人と違うことを知って育ちました。
最初のうちは、それが気になりませんでした。それどころか、自分が注目されることに喜びを感じていました。
子どもの頃、私が公共の場に出ると人々がどのような反応をするのかを身をもって体験しました。
私が目を合わせようとするとすぐに目をそらし、私よりも幼い子どもたちが指をさして無邪気に質問し、親が私の母親や父親に半ば謝罪の言葉をつぶやきながら、近くにきた子どもを引き離しました。
そのときは、彼らの反応が何なのかわからなかったので、私は侮辱されていると思うことはありませんでした。
しかし、私が10代になると、それが肯定的なものではないことがわかるようになり、人の反応に過敏に反応するようになりました。
私が気になったのは、視線や質問ではなく、その人たちが私を一人の人間として認めようとしないことでした。
機会があれば、私は自分の障害について誰にでも喜んで説明したいと思っていました。
これは私の人生でずっとしてきたことであり、年を重ねるごとに慣れてきました。
私は自分の経験を伝えるようになる前は、このようなことには常に付き合っていかなければならないものだと受け入れていました。
しかし、今ではそうである必要はないと思っています。
人々が耳を傾けてくれる限り、彼らが蔓延させている傷つく偏見に対して、教育することは可能です。
しかし、人はある程度までしか耳を傾けてくれないため、受け入れてくれないこともあります。
目に見えない障害を持つ人は、常に自分の障害を人々に説明しなければならず、自分の個人的なことを知ったときのさまざまな反応に対処しなければならないという重荷を背負っています。
私の高校時代からの友人、ティファニー・カバノフと私は最近、目に見えない障害を持つ人たちを取り巻く課題について話しました。
自閉症をかかえる23歳のカバノフは、TikTokで自分の障害に関する話をオープンにすることで、約1万人のフォロワーを獲得しています。
しかし、現在のようになるまでの彼女の道のりには、乗り越えなければならない困難がいくつもありました。
彼女は、自閉症の診断を受けたわずか5歳の時から、偏見に直面してきました。
「診断を受ける前、私の家族はかかりつけの医師に『どこが悪いのか』と聞き続けていました。
医師は元気だし、かわいくてかわいくて仕方がないのだから、何かあっても仕方がないと言っていました。
しかし家族は『きっと冷たい子育てをしている』と非難され続けていました。
検査を受けたほうがいいと言ったのは、かかりつけの医師とは別の医師でした。
私の両親は、私が診断を受けるまで自閉症という言葉を聞いたことがありませんでした」
彼女は中学生になって自分で自閉症について調べるまで、診断結果を完全に理解することができなかったといいます。
そして、中学2年生のときに学校の発表会で、「自分はなぜこの世に生まれてきたのか」という問いに対する機会に、自分の自閉症について明らかにし、伝えました。
親しい友人や家族はすでに自閉症であることを知っていましたが、クラスメートに自分の診断を明かしたとき、彼女はどんな反応が返ってくるか非常に不安でした。
ありがたいことに、全体的に肯定的で受け入れてくれました。
しかし、彼女を不安にさせるような言葉もありました。
「私が受けたコメントの中には、今も忘れられないものがあります。
『あなたは自閉症のようには見えない』
『自閉症であるとは気づかなかった』
『気の毒に思う』
『自閉症を克服しているのは素晴らしい』
『私も自閉症が治った』
『誰もが少しは自閉症』
そうしたコメントは、私には違和感があるものです」
カバノフは、目に見えない障害を持つことの最も疲れることとして、押しつけがましい反応だといいます。
また、初対面の人に繰り返し自分の診断結果を伝えなければならないこともあります。
「初対面の人に話すことが問題なのではありません。
そうしたときの反応に疲れるのです。
『すごいですね!』と言ってくれる人はほとんどいませんし、尊敬の念を持って質問してくれる人もいません」
目に見えるか見えないかにかかわらず、障害者に出会う人のなかには、不適切なことを言ったり、人間ではなくモノを見るようにする人がいます。
障害をかかえる私たちが他の人たちとは何もかも違うという思い込みは、最も有害な誤解のひとつです。
なぜなら、それは少しも真実ではないからです。
他の人と同じように、私たちも尊敬されるに値する人間なのです。
(出典:米GREENFIELD RECORDER)(画像:Pixabay)
すましていればすぐにはわからないかもしれませんが、うちの子は重度なので5秒も経てばわかると思います。
しかし、それでも親の私が一応、説明することはよくあります。
自ら説明しなければならない人が、説明し相手の反応に対応しなければならないことに、負担がかかるのはよくわかります。
うちの子のリュックにも付けていますが、「ヘルプカード」は大きなその一助になります。
(チャーリー)