ジョー・バークスデールは長い間、思うように人とコミュニケーションをとることができませんでした。
5年ほど前に、ジョーは音楽で自分を表現できることを知りました。
音楽は、人をつなぎ、気持ちを伝える手助けをしてくれます。
「いつもクールだと思う新しいものを探していました。
そして、自分を伝えることがそれができるとわかったときにはうれしくなりました」
ミュージシャンとなったジョーはそう言います。
音楽が持つコミュニケーションの機能を身をもって知っています。
「自分が自閉症だとわかったのは、1年ほど前のことでした。
いつも人とのコミュニケーションには苦労していました。
なので、自分が音楽で『言っていること』を理解してくれる人がいるとわかったとき、
音楽が私のコミュニケーション手段になりました」
ジョーの音楽活動が本格化したのは、ここ5年ほどのことです。
「実際に始めたのは、チャージャーズと契約した数年後です」
ジョーは8年間に渡り、アメリカンフットボールのNFLで活躍してきました。
3つのチームで活躍し、サンディエゴ・チャージャーズでキャリアを終えました。
「私にとってフットボールは、家を出るための手段でした。
デトロイトから出て、奨学金をもらってどこかに行くための手段でした。
工学系の奨学金もありましたが、すべてをカバーできるという点で、フットボールの方が優れていました。
でも、実際にやってみると、それがいかに愚かで偽善的なことかがわかってきました。
私は自分のあるべき姿を愛し、あるべき姿を嫌ってきました」
ジョーがフットボールを始めたのは、15歳の時にエンジニアキャンプから追い出された後でした。
しかし、オタクを自称するジョーは、アメリカンフットボールの選手やコーチと心を通わせることはできなかったといいます。
「自分では惨めな気持ちになっていても、それは全米では最も人気のあるスポーツでした。
なので、引退して離れてから、引退前よりも多くの人に認められるなんて、想像できませんでした」
自分の気持ちを伝える手段として見つけたのが、音楽とスタンドアップ・コメディでした。
ジョーのスタイルは独特です。
ジョーはこう表現します。
「マービン・ゲイ、ジミ・ヘンドリックス、スライ・ストーンが一緒に音楽を作って、
マッカートニーとレノンが歌詞をつけて、
それをカニエ・ウェストがプロデュースしていたとしたら。
そんな感じ。
私はこれをエレクトリック・ソウルと呼んでいます」
しかし、自分の音楽は自分自身と同じくらい表現が難しいとジョーは言います。
「それが『私』だから。
私はただのフットボール選手でもなければ、ただの父親でもない。
それが、人間なんだよ。
単純ではないよ」
自閉症と診断されたことは、ジョーにとってコミュニケーションが難しく、これまで、コーチや選手とつながりを持てなかった理由を説明するのに役立ちました。
そして、ジョーの音楽は多くの人に理解される方法で、最もつらかったことを共有できるようにしました。
「痛みは木の根のようなものだと思います。
私は自分の痛みからインスピレーションを得ています。
痛みは木の根のようなもので、目には見えません。
しかし、木の最も重要な部分であり、木に栄養を与えるものです。
栄養があるからこそ、木は成長することができるのです。
私が音楽を作るのも同じ理由からです。
同じ理由で、自閉症のセラピーも受けています。
薬も飲んでいます。
そうすることで、人とコミュニケーションをすることに私はチャレンジできます。
私のように何かを言える立場に置かれている人は少ないと思います。
自閉症の私には言いたいことがたくさんあります」
(出典・画像:米KVUE)
NFLでの活躍だけでなく、今、作業に取り組む姿もかっこいいですね。
立派な機材がなくても、今はスマホ1台あれば世界に向けて発信できます。
自分が大好きなことがあれば、それに載せて自分を世界に伝えるのもいいはずです。
(チャーリー)