アルフィー・ボーエンは2009年に自閉症スペクトラム障害と不安障害と診断されました。
アルフィーは自閉症についてわかっていませんでしたが、自分の周りの世界が非常に圧倒的で怖く、自分がこの世界には属していないように感じ続けていました。
「自閉症と診断されるまでには長い時間がかかり、疲れるものでした。
複数のクリニックを訪れ、複数の専門家によって評価され、私は何が起こっているのか心配でした。
とても怖いプロセスでした。
数週間ごとに、新しい人に会いどのように疎外感を感じているかを話していました。
やっと自閉症と診断されたときは、自分にとって記念になる瞬間でした」
アルフィーは自閉症はそれぞれの人ごとに異なるものだと言います。
「自閉症の私たちは、それぞれみんな異なるのです。
私には大きく2つの困難がありました。
不安、そして人と関わることにです。
何年もの間、それらに苦しみました。
それらは津波のように現れ、そして私はパニックを起こしました。
誰でも不安はあると思います。
私の場合にはほんの些細なことが、最大の不安をもたらし私を支配しました。
なにか心配になると、すぐに目眩がしふらついたり、病気になったりしました。
偏頭痛にも悩まされ、左半身がしびれて病院に運ばれたことも数回あります。
人付き合いにも苦労しました。
私は人とどうやってコミュニケーションをとればいいのか全くわかりませんでした。
相手が話す言葉は、私の理解できない外国語のように思え、私は固まってしまいました。
自分の言葉を話すことも、相手の顔を見ることもできませんでした。
それが、10年もの間いじめられる原因になりました。
ここ数年で、私は自分の不安をどうにかすることを学び、人付き合いの方法も独学で学びました。
私はまだ毎日自分自身と戦っていますし、これからもずっとそうなんでしょう。
しかし、少しの愛と忍耐力で、私はこれまでよりもはるかにうまくやっています。
みんながお互いに少しだけ親切になれば、自閉症の人にとって、それは大きく人生を過ごしやすくしてくれるはずです」
学生時代の頃を思い出すと、アルフィーは動物図鑑を読んでいるときに笑われていたことを思い出します。
それは、当時のアルフィーにとって唯一の脱出方法でした。
「私は生まれたときから、ずっと動物が大好きです。
私が話した最初の言葉はアヒルだったそうです。そして二番目はマガモでした。
私が動物図鑑を読んでいて笑われていることに気づいたときには、とてもショックでした。
その日のことは今でもはっきり憶えています。
1000人以上の生徒がいる学校で、私は誰にも認められませんでした。
誰もあいさつもしてくれず、暗い毎日でした。
15歳のときからこれまでに5回、私は自殺を考えました。
自閉症の私たちは、いじめられていることや笑われていることにも気づかないほど愚かだと思う人がいます。
そんなことはありません。気づいて心が折れています。
私たちは多くを求めていません。
ただ受け入れてほしいだけです。
少し親切にしてもらって、少しでも私たちに人間性を示してほしいだけなんです」
アルフィーは最終的には私立の特別支援学校に通いました。
そこでは素晴らしい成績を修め、5つの大学に無条件で合格することができました。
しかし、大学で再びいじめに遭い、わずか3週間で不安神経症を発症して退学を余儀なくされました。
数ヶ月後、成功への決意を固めたアルフィーは、自分のビジネスとして写真のビジネスを立ち上げました。
「私のビジネスは世界中で着実に成長し、自閉症の人たちのために世界を変えようとする私の決意もますます成長しています。
私の仕事は信じられないほど変化に富んでいて、同じ日は二度とありません。
写真を撮ったり、イベントに出かけたり、他の自閉症の子どもたちに教えたり、オフィスで仕事をしたりしています」
アルフィーはこれからのことについてこう言います。
「もちろん、私は自分のビジネスとキャリアの成長に取り組み続けますが、成長し続けるビジネスが、自閉症の人たちの意識を高め、最終的には自閉症の人たちのために世界を変えるという私の目標を達成させたいと思っています。
自分が世界を変えるために十分に狂っていると思っている人こそが世界を変える人です。
変化は座っていることではなく、立ち上がって声を上げることで生まれるものであり、それこそが私がやろうとしていることです」
(出典・画像:英EXPRESS)
本当にご苦労されてきたからこそ、ますます響きます。
ますますご活躍されて、そして変わることを共に願います。
(チャーリー)