- 自閉症の大人や子供は、なぜ自分の異なる行動や感情に困難を感じるのか?
- 家族や友人が自閉症や発達障害を理解することの重要性は何か?
- 自閉症や発達障害の早い段階での診断と支援が人生にどのような影響を与えるのか?
アンナ・ウィルソンが初めて母親のジリアンが他の人とは違うことに気づいたのは8歳のときでした。
誤って寝室の新しいカーペットにインクをこぼしてしまったときです。
「ママは怒りで震えていました。
私を激しく揺さぶりました。
怖かったです」
そう、現在50歳のアンナは思い出します。
英ケンブリッジ大学を卒業した母親のジリアンは、家族を大切にしていました。
アンナ、妹のキャリーと父のマーティンは、きっちり時間通りに食事が出され、決められたスケジュール通りに宿題をしなければなりませんでした。
母親のジリアンは、その厳格な秩序の乱れるとたいへんなことになりました。
「10代の頃は、タオルを床に落としただけで世界が終わったかのようになりました。
ママは恐ろしいほど激怒します。
目を合わせないようにしました」
時間が経つにつれ、母親のジリアンはますますおかしくなっていきました。
いつも不安な状態でした。
世間話をすることは苦手で、代わりに歴史について人々に説教することを好みました。
また支配的で、無限に続くリストを作り、絶え間なく心配し、そわそわし、予想できない不確実なことを嫌いました。
アンナは大学生になり、友だちとヒッチハイクでパリへの旅行を計画しました。
すると母親のジリアンは、旅行者がレイプされたり殺されたりしている新聞の切り抜きを送りつけてきました。
「結局、私は旅行をあきらめました。
友だちに話しても、私のママのことは理解されませんでした。
ママが怒ることに私はもう参りました」
アンナがデビッドと結婚したときにはストレスでいっぱいでした。
母親のジリアンがすべてを手配しようとしました。
そのような行動は、アンナに二人の子どもができたあとも続きました。
祖母がなくなると、母親のジリアンは極度の不安と抑うつ状態になりました。
慢性的な不眠症に悩み、1日に4回もアンナに電話をかけ、常に安心感を求めていました。
それからの数年、ジリアンは精神科を受診し、不安、抑うつ、精神病の治療を受けました。
精神状態は徐々に悪化していきました。
「ママは華やかで知的な女性だったのですが、ぐちゃぐちゃになってしまいました。
眠ることができず、息を切らしながら歩き回っていました」
そして、自宅について執着するようになり、天井の小さなひび割れもまるで大きく壊れているように言うようになりました。
7年前に父親のマーティンが癌と診断され、足を切断しなければならなくなりました。
マーティンはソファにビニールシートを敷いて寝ていましたが、傷をつけるのではないかと家具のほうをジリアンは心配しました。
しかし、アンナはジリアンは残酷だったわけではないといいます。
ストレスの多い状況に対処することができなかっただけだと。
マーティンの健康状態が悪化していたため、アンナは入院させ、ジリアンは一緒にいることができなくなりました。
「別れを告げることができなかったことに、心が痛みました。
その後、病気のためにパパの葬儀にも来れなかったから」
その後に「救済」があったといいます。
母親のジリアンを診てきた精神科医が、自閉症スペクトラム障害と診断をしたときです。
「これまでのすべてが理解できました」
医師から聞いた自閉症についてのすべてのことが母親のジリアンのこれまでとつながりました。
秩序への執着、強い不安、決まったとおりに過ごすこと、手を叩いたりするくせ、激しく怒り出すこと、非常に論理的。
高機能自閉症。
その診断は72歳になった母親のジリアンには遅すぎました。2年後に亡くなりました。
「ママの友人たちも、ママが自閉症であることをずっと信じませんでした。
その人たちにとって自閉症の人とはレインマンのような人だからです」
英自閉症協会によれば、女性は正しく診断されないことが多くあります。
とくに高機能自閉症の人であれば、自閉症とは思わせない行動を人の真似をして隠すことに優れているためです。
「ママは適切な場所で笑顔を作る方法を知っていました。
しかし、それは演技でした。
ママはその後、疲れ切っているように見えました」
隠してしまう「マスキング」は信じられないほどのストレスにつながる可能性があります。
そう英自閉症協会のサラリスター・ブルック博士は言います。
「多くの女性や女の子が摂食障害や不安障害などの二次的な問題も、そのためにかかえてしまいます」
母親がかかえてきた困難を思い出すアンナもそれに同意します。
母親の健康を奪ったのは自閉症そのものではなく、「不安」だと知っています。
「ママがもっと若いときに診断を受けていたら、ママの人生は大きく違っていたはずです」
確かにもっと幸せな人生を送られていたかもしれません。
しかしどれだけ困難な人生であっても、そう思ってくれる子がいてくれたことは何より幸せだったはずです。
発達障害の人の「マスキング」大きな代償が必要なマスクはとろう
(チャーリー)