私はジャッキー・アンです。
30代前半で看護師をしています。 そして自閉症です。
発達障害の自閉症と診断された大人は、多くの分野で気づかれないように働いています。
私たちの多くは偏見などを避けるために、一日中「マスキング」することを学んできました。
ニューロダイバーシティに関する情報が増えている(特に医療従事者なかでも)にもかかわらず、偏見は存在しています。
仕事の内容や人との関わり程度によって、特定の職業ではマスキングをしなければならない状況になります。
医療分野は、とくにそれがあてはまる職業でしょう。
自閉症の女性の多くがそうであるように、私も大人になってから自閉症の診断を受けました。
私が診断を受けたのは19歳の大学時代で、私の自閉症のタイプがまだアスペルガー症候群と呼ばれていた頃です。
大学へ通うようになって、一人暮らしをしていた私は、感覚過多とパニックを起こしてしまうことに苦労しました。
私は自分が自閉症と診断されて、私の将来のプランはもうなくなると思いました。
当時はまだ自閉症についての情報が不足し、また、神経多様性を文化に統合しようとする動きもありませんでした。
自閉症の人は、まるで宇宙人のように他の人とは違う存在だという固定概念だけを私はもっていました。
そのため誰にも診断されたことを言わずに大学を卒業しました。
そして他の自閉症の人と同様に、何年も就職することができませんでした。
私は勧められて介護施設で働き出しました。
スーパーでの仕事から逃げたいという気持ちもあったからです。
最初は、感覚的に過敏になることも多かったのですが、すぐに介護施設の環境が好きになりました。
発達障害のある人たちに仕事をしていたので、想像できると思いますが、その人たちにはとても共感しました。
しかし、同僚との人間関係には苦労もありました。
時間がたつにつれ、私は自分と似たような人たちと仕事をしていることに、信じられないほどの幸せを感じるようになり、利用者さんとは良好な関係を築くことができました。
そして、私は学生に戻りました。看護師になることを目指しました。
その時の思いは、ワクワクもしましたが恐怖もありました。
看護師の仕事での大きなストレスと責任をに自分が耐えられるかどうか心配しました。
私は人の生死に変わる状況に対処できるのか?
私は迅速に、自閉症でない人の行動を理解できるのか?
しかし、私は看護師になることに決めました。
これまでの介護の仕事では私は優秀でした。基礎も手に入れたはずです。
そう思って、少し気を楽にしました。
看護学校での生活は私には簡単ではありませんでした。
20人のクラスで1日7時間の授業で週に5日。
私はここでも、自分が自閉症であることは先生も含めて誰にも言いませんでした。
そして、学校生活を再び始めたことで、高校や大学時代に私がかかえていた問題が再び蘇ってきました。
私の困難のほとんどは人との関わりに関する社会的なものです。
患者さんのケアをしているときには、一部に影響します。
自分が自閉症であることを隠す、マスキングはとても疲れるものです。
患者さんを相手にすることの他には、何もできなくなってしまうこともたびたびありました。
あるクラスメートは、わざと私の耳元で私のうわさ話をしました。
あるクラスメートは、私とクラスに一人だけの男子学生を、侮辱の意味で自閉症だと言っていました。
この二人はずっと、私のことを悪く言っていました。
私が秘密を打ち明けることは絶対にできないと思いました。
そして、私は看護学校を卒業しました。それも優等生として。
資格をとるとすぐに看護師の仕事を始めました。
それからずっと介護施設で看護師として働いています。
私を不安にさせるある、医療機器が発する特定の音がありました。
仕事を始めた頃はその音に慣れるために、その医療機器を自宅に置いてずっとその音を聞きました。
私の最大の感覚の問題は触覚です。
とくにハグは苦手です。
握手も苦手です。
しかし、私は仕事上、患者さんの脈をとったり、たくさん触る、触られる必要があります。
それはできます。しかし負担にはなります。
私の同僚の多くは、私が触られるのが嫌いなことを知っています。
ほとんどの同僚は、それを少々からかっても、私のことを尊重しています。
何度も注意されているにもかかわらず、まだ私を抱きしめたり、尋ねないで私に触ってくる、私の下で働いている他の看護師などはいます。
私は時間をかけて、彼らの触る必要性が私の触られたくない必要性と同じくらい高いことを受け入れてきました。
患者さんが触ってくる場合には、私は寛容な態度で接するようにしています。
介護されている患者さんは、とても友好的になったり、承認を必要とすることがあるからです。
社会的な状況の把握は私にとってはまだ難しいものです。
しかし、人の心を読み、患者さんと話すときの言葉遣いは上手になってきました。
患者さんの健康状態について電話で確認するのは、声のイントネーションだけで、視覚的なものがないので難しいかもしれません。
たいてい、私の感情は極端に冷静か楽しいかになりがちで、中間であることがほとんどありません。
患者さんは楽しい方を好むので、仕事が終わる頃には疲れてしまいます。
まだ、私は仕事では同僚や上司にはマスキングをしています。
しかし、私生活ではようやく自閉症の診断についてオープンになってきました。
自閉症は、誰かが私を見下す理由にはなりません。私が誰かに謝罪する理由にもなりません。
私は優秀な看護師です。
私は人に求められる看護師になりました。
自閉症だからではなく、自閉症だからこそ、私は優秀な看護師なのです。
私の感覚過敏は、他の人には聞こえない音が聞こえ、見えないものが見えます。
私の触覚は、さまざまな種類の触診に役立ちます。
私は患者のカルテから疑問が浮かんだ場合には、私はそれを理解するまで、またはそれを理解できる人を見つけるまでずっとそれについて考え続けます。
私は、患者さんを助けること以上のことは何も望んでいません。
分からないことがあったり、やり方が分からないときは、安全にできると確信するまで、迷惑なほどの質問をします。
手洗いには少しこだわりがあります。
記憶力は優れていいます。
常に学び続けたいと思っています。
最後に、私は診断だけで人を判断しない看護師です。
看護師として、私はカルテに書かれている病気、障害、症状のリストよりも非常に多くのことを理解します。
誰でも、偏見にもとづかないより良いケアを受ける資格があるからです。
私はこれまで、偏見の中で生きてきたので、そう考えているのです。
私はずっとマスキングをしてきた医療従事者です。
マスキングをする必要がなくなるように神経多様性、ニューロダイバーシティに対する理解が広く深まることを願っています。
(出典:米The MIGHTY)(画像:Unsplash)
本来の自分を隠して、もっている素晴らしさまで隠れてしまう。
ご本人には本当につらく、そして疲れるだろうと思います。
そして、素晴らしさまで隠れていることは、まわりの人、社会にとっても大きな損失です。
みんな違って、みんな同じ。
(チャーリー)