- 発達障害の子供がどのように才能を発揮できるのか?
- 自閉症の特性を持つ人がどのように自己表現を見つけるのか?
- 家族が発達障害を持つ人をどのようにサポートすればよいのか?
ジミー・レーガンはいつも自分は人と違うと感じていました。
幼児のころに発達障害の自閉症と診断されました。
他の子どもたちが発達していくなか、ジミーは言葉を失くし社会的スキルを失くしました。
中学生になると、学校に行くのを止め自宅で学習するようになりました。
ジミーが他の人と違うのは発達障害だけが理由ではありません。
ジミーの芸術の才能です。
ジミーの絵は、ピカソやスーラの絵と一緒にイタリアのミラノからアメリカのロサンゼルスの展示会など世界中で展示されてきました。
最高で8000ドル(約80万円)の値がつけられています。
ジミーは18歳のときには米ミネソタ大学の学祭でも注目のアーティストでした。
母親のペグはこう言います。
「ジミーの絵を見ると、見た人はジミーとつながった感じがするんです。
ジミーには言葉がありませんが、まるで会話しているような感覚になります」
ジミーの絵はこれまで母親とつながるのを助けてきました。
ジミーは絵を書き終えると署名します。
あるときジミーは署名を逆さまに描きました。
そして、次も逆さまに描きました。
母親は混乱しました。
「ジミーを見て言いました。
『何してるの』
するとジミーは私をまっすぐ見て『病気』と答えたんです」
ジミーは数ヶ月の間、体調が悪いことをそうして伝えようとしていたのです。
母親は気づくことができなかった、理解することができていなかったといいます。
しかし、その後はこうして描いて伝えることを母親は理解しました。
ジミーには芸術家の血が流れています。
ジミーの兄は受賞歴のある映像作家であり、妹はイラストレーター、叔母も芸術家でした。
さらに祖母はファッションイラストレーターで叔父は米ニューヨークの著名な画家、ジョージ・シュニーマンでした。
シュニーマンは2009年に亡くなりました。同じ年にジミーは絵を描き始めました。
叔母は、祖父のシュニーマンからジミーにバトンが渡されたのだと話します。
ジミーの自閉症がジミーの絵の独自の視点を作り出していると母親は言います。
ジミーは絵について専門的に学んだことはありません。
だからこそ、枠にはまらない作品を作ってこれたといいます。
ジミーの家族は、ミネソタ大学の自閉症クリニックの設立を支援するなど、ミネソタ州で先駆的な自閉症の取り組みにおいて極めて重要な役割を果たしています。
ジミーを2000年に最初の患者として迎えました。
ジミーはまたポール国際空港の自閉症プログラムでも最初の一人となりました。
それは、特別支援が必要な人たちに、空港で飛行機の旅行の練習ができる機会です。
また、ジミーが絵を描き始めたとき、誰もそれが売れるとは思っていませんでしたが、今ではジミーの絵の収益から、子ども病院や自閉症クリニックなどに寄付も行っています。
(出典・画像:米Star Tribune)
絵が大好きなだけでなく、環境や周りの人に恵まれていたことも大きなプラスになったはずです。
夢中になれる大好きなことを見つけたら、どんどん応援したいですね。
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