- 発達障害があっても成功することはできますか?
- 過去にあまり影響を与えなかった親のもとで育っても、個人の成功に影響はありますか?
- 失読症のような学習障害を持つ人がどのようにしてキャリアを築くことができますか?
キアヌ・リーブスは今や間違いなくハリウッドのスーパースターです。
ビルとテッドの大冒険、マトリックス、ジョン・ウィックなどの映画シリーズに主演しています。
そしてスーパースターであるにも関わらず、純粋で優しいその人柄をたくさんのファンが愛しています。
キアヌ・リーブスはこれまで必ずしも華やかに過ごしてきたわけではありません。
実際、キアヌは発達障害に苦しみ、とても困難な状況になったこともあります。
キアヌは1964年9月2日にレバノンのベイルートに生まれました。
父親はアメリカ人、母親はイギリス人、ベイルートで二人は出会いました。
キアヌが3歳のときに、父親はそれまでの家族をすて母親と一緒に引っ越しました。
最終的にはカナダのトロントで生活するようになりましたが、それまではオーストラリアのシドニー、アメリカのニューヨークにも住んでいました。
キアヌはあまり父親と接することはありませんでした。
最後に父親に会ったのは13歳のときです。
その後父親は薬物中毒者となっています。
キアヌは学校に入ると、発達障害である単語や文字を理解することが困難な学習障害の失読症と診断をされました。
「読むことが難しかったので、私は優秀ではありませんでした」
そうキアヌは語っています。
最終的にキアヌは高校を退学させられました。
「私は多くの生徒のようにはできませんでした」
キアヌは読むことに困難をかかえていたものの、物語には強い興味を持ちました。
シェークスピアなどが大好きでした。
この物語好きなことが、キアヌを俳優に導きました。
「私は図書館でチェーホフの劇を読んですぐに、舞台芸術学校に入学しました」
キアヌは演技のレッスンを受け、演劇に参加し、そしてハリウッドにつながっていったのです。
90年代に映画が大ヒットしキアヌはスターの仲間入りをしました。
しかしそれからも、まだ人生を難しくする多くの困難に直面してきました。
1993年に親友のリバー・フェニックスが23歳で薬物のために亡くなりました。
さらに、1999年にはつきあっていたジェニファー・シムとの子どもを死産で亡くしています。
そして2001年にはジェニファーは自動車事故で亡くなりました。
大事な人を続けて亡くしたことは、キアヌに大きな影響を与えたはずです。
キアヌは何年たっても、悲しみはなくならないと語ったことがあります。
「私にはそれが過ぎ去っていくようには思えない。
悲しみ、そして失ったことは、決して消えないものです。
ずっと一緒にいます」
キアヌはこうした悲しい物語を経験してきました。しかし自ら多くを語ることはありません。
その代わり、キアヌの周りの人への親切な行いがよく注目されています。
長年に渡って、キアヌ・リーブスには数多くの無私無欲なエピソードが語られています。
映画ではスタッフに食事を振る舞ったり、見知らぬ人を車に乗せたり。
キアヌ・リーブスと関わったことがある人はみなキアヌに良い印象しかもっていないようです。
(出典:米Showbiz CheatSheet)(画像:Youtube)
キアヌ・リーブスは、映画「スピード」の頃から大好きです。
トム・クルーズが失読症をかかえていたことは知っていましたが、キアヌもなんですね。
ベンチに一人座っている良い人、日本にふらりと来てラーメンを食べる人としても有名なキアヌは、リーブス(Reeves)と革命を意味する(Revolution)が合体した「リーブリューション(Reevelution)」という言葉ができるほど、今はさらに大人気なんだそうです。
ますますご活躍されることを願っています。
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(チャーリー)