- ニューロダイバーシティとは何を意味するのか?
- 学校におけるニューロダイバーシティの考え方はどのように実践されるべきか?
- 発達障害をもつ生徒への支援方法は具体的にどのようなものがあるか?
「ニューロダイバーシティ」神経多様性という言葉が使われるようになってきました。
学校の教室において、それはどういう意味をもち、どうしようとするものなのでしょうか。
ニューロダイバーシティは発達障害、つまり自閉症スペクトラム障害、ADHD、失読症、失語症などを含め、幅広い神経学的な相違を含むものです。
新しい言葉だといえるでしょう。
1990年代に自閉症の啓蒙活動などを行っていたジュディー・シンガーが、「治す」べきものではないとする考えを発表するときに使ったのが始まりだと考えられています。
目に見えない障害があることが知られてくるようになりました。
発達障害について理解が広まっていることからもわかるはずです。
そうした困難が障害とされることは、サポートにアクセスできる鍵となるものです。
しかし、現代において神経学的差異のすべてについて障害だと考えるのは正しくないでしょう。
「ダイパーシティ・多様性は、生物であれば当然不可欠のことです。
そうであれば、ニューロダイバーシティは人類にとって極めて重要なものかもしれません。
その時代、時代において、どれが、最も適している脳内ネットワークの状態だといえるでしょうか?」
そう、1998年に著書「ザ・アトランティック」でハーベイ・ブルームは述べています。
発達障害がヒトのゲノムに組み込まれていることを考えれば、進化論的な考えからすれば、それはひどい障害になるものとは考えられないと、ニューロダイバーシティの支持者であるジョン・ロビンソンは言っています。
しかしジョンは、発達障害の人のうつ病や自殺の率が高いことを指摘し、発達障害の方への治療は、その人を変えようとするものはなく、障害、困難を減らすのに役に立つはずだといいます。
こうした「ニューロダイバーシティ」の考え方に、学校では生徒にどうするべきでしょうか。
1.ニューロダイバーシティ、発達障害などの神経学的な違いを祝う。
すべての生徒たちにニューロダイバーシティについて教え、理解してもらいましょう。
発達障害があるといわれているビジネスで大成功した人たちや歴史上の天才や偉人などを教えるのもよいはずです。(しかし、発達障害のような神経学的な違いをもつ人たちのすべてが天才であったり、大成功するという誤解は起きないようにしなければなりません。)
2.発達障害の生徒に自尊心をもってもらう
発達障害などの生徒には、特に気にして、小さな成功でもほめてください。
そうすることで自信や自尊心がついていきます。
そして、学校のさまざまな場面で感じる疎外感に負けないようになります。
3.発達障害の生徒の精神的な問題に気を配る
親と緊密に連携して、発達障害の生徒の感情や精神的な問題の兆候に注意をしてください。
専門家の支援が必要となることもあるでしょう。
ただ、学校に安全で静かな場所を設けるだけでも生徒を救えることもあります。
4.発達障害の生徒に必要な支援を行う
発達障害の生徒たちは、組織の中で過ごす、時間通り過ごす、そうしたことに困難をかかえることがあります。
サポートしてください。
メンターを作ることはとても有益です。
毎日でなく、週に一日のサポートでもよいので生徒が無事に過ごしていることを確認する担当者を設けるのです。
また、発達障害の生徒には、困難を減らすための方法を教えてください。
例えば、勉強をするのにふせんを使ったり、パソコンを使ったりすることなどです。
宿題の量が、その生徒の大きなストレスになっているようであれば、減らすことを考えてください。
試験方法なども考慮してください。
発達障害の生徒が、そうでない生徒と同じように試験を受けることができるように、必要になるサポートは利用できるようにしてください。
例えば、時間を追加したり、読む・書くを支援する人、気を休めることができる小さな部屋などです。
感覚への配慮は、試験に限ったものではなく、教室は配慮がされているべきでしょう。
配慮することで、集中することに困難をかかえる生徒も、もっている可能性を最大限に発揮できるようになります。
(出典:英tes)(画像:Pixabay)
「みんな違う」ことが素晴らしく、お互いに違うことを認めた上で、お互いを尊重しあえたらいいなと思います。
先日、外国の方から連絡を頂きました。私の子も「ギフテッド」とありました。
言葉や国が違うので感覚は違うかもしれませんが、(神から)贈られた、というような表現は私は苦手です。
そう考えたくなる親の気持ちも少しわかりますが、私とうちの子にとっては、選ばれて贈られたのでもなければ、贈られたと言いたくなるような素晴らしいことでも、素晴らしくないことでもありません。
いくらか違うだけだと思っています。
みんな違っていることこそが、生命、人類すべてに贈られた素晴らしいことだと私は思っています。
発達障害の人は人類みんなの進化をともに歩んできた違う人たち
(チャーリー)