- 発達障害と診断されてからの生活はどのように変化するのか?
- 発達障害に対する理解と向き合い方はどのように進んでいくのか?
- 発達障害やその傾向について、個々人や社会がどのように認識していくべきなのか?
発達障害とは人の状態を表すラベルのように使われますが、私にとっては生き方です。
それは、とても鮮烈に、カラフルに世界を見て生きていることを意味しています。
同時に、とても困難なこともあります。
鮮烈に世界を見て、感じて、経験しながら生きていくことに押しつぶされそうになったりもします。
黒板に爪を立てたときの音は、大勢の人にとって嫌なものだと思います。
公共交通機関を利用しているときなどは、私はいつもそのような嫌な感じに包まれているのです。
そのため、私はときどきパニックを起こしてしまいます。
私は50歳になりました。
発達障害と診断をされてから、10年を迎えました。
診断は私の人生を変えました。
それまで、私はこの苦しみに名前をつけることができていませんでした。
私を肉体的、精神的に困らせてきたものです。
私は発達障害と診断をされるまで、うつ病や不安症で入院をしてきました。
発達障害は人それぞれに異なるものですが、このことは多くの発達障害の人にあてはまるでしょう。
2009年に私は自叙伝を出版しました。
多くの人から連絡をもらいました。
私がかかえてきた困難は、自分がかかえているものと同じだと。
そうした人たちの多くは診断はまだされていないものの、発達障害と診断される可能性が高い人たちだといえるでしょう。
私は正式に発達障害と診断をされたことは、悲惨なことだとは思いませんでした。
自分が発達障害であることを知らなかったときのほうが悲惨だったと思います。
発達障害と診断をされたことで、新しい世界が私の前に拓けたようでした。
あたらしく生きる機会を手に入れたと思いました。
私の発達障害への態度は4つの章に分けられます。
第一章は自分がまわりの人と違うために、受ける屈辱の苦しみから逃れようとしていたこと。
第二章は発達障害と診断をされて、生き方が変わったこと。
第三章は受け入れたくなかった自分の部分とも向き合えるようになったこと。
そして第四章はこれまでの人生を振り返ると、とても悲しくなる、現在進行中の章です。
しかし、悲しくないと思えるようにもなってきました。
発達障害と診断をされた直後に私の課題となったことは、発達障害について理解し、こう過去を捉えられるようになることでした。
私は最も人間らしく、誠実に生きていきたいと考えています。
生きるということは、世界で私がたくさんのことができるということです。
なので、私にとっては発達障害と診断されたことは悪いことではなく、メリットだけがあります。
私が困難に立ち向かってきたことへの勲章です。
寄稿:英国自閉症協会アンバサダー クリス・グッドチャイルド
(出典:英METRO)(画像:Pixabay)
発達障害とされることで、適切な支援が受けられたり、自らを助けるところも大きいものだろうと察します。
そして、「障害」かどうかは、ご本人や周りの方たちの負担の程度、支援の必要性により決まるものだと思います。
一方で、私は発達障害の「傾向」は誰にでも、みんなにあるものと思っています。
程度が違うだけのこと。
発達障害の方が抱える問題についても、程度は大きく違うかもしれませんが、多くの人にもあるはずです。
なので「傾向」があるというのはほとんどの人にあてはまる、ごく当たり前のことで、いちいち言うまでもないことだと私は思っています。
だからこそ、支援を必要とすることもなくご活躍されている方が、診断はされていないけれど「傾向」がある、と自ら声高らかに発達障害ふうのポジションをとったりされていると、
まったくその人たちの状況とは違うのに、同じ「発達障害」でくくられることになる、本当につらい状況で支援を必要としている発達障害の方やご家族の方たちの深刻さが誤解されないように、
と願う気持ちにさせられます。
「発達障害の人」「発達障害がある人」どっちを使うべきか問題
(チャーリー)