- 「発達障害の人」と呼ぶべきか?
- 「発達障害がある人」と呼ぶべきか?
- 「障害者」「障碍者」「障がい者」の呼び方、書き方の問題はどうするべきか?
自分自身や、他人をどのように定義するのか。これはやっかいな問題になることがあります。
発達障害の人や、発達障害について研究をしている人にはなおさらです。
それは、意見の相違があるからです。
①『発達障害の人』 と呼ぶべきか、
②『発達障害がある人』 と呼ぶべきか。
米ノースイースタン大学のニュースに掲載した2つの記事で「発達障害の人」という言葉を使ったところ、障害に関わる家族や、専門家から「発達障害の人」という呼び方について批判がありました。
発達障害の子どもたちのためのプログラム開発を20年以上行っているノースイースタン大学のローラ・ダドリー助教授はこう言います。
「介護をする人や発達障害について研究をしている人は、『発達障害の人』と言うことが多いと思います。
『発達障害がある人』と呼ぶべきだと言う人に対して言いたいことは、
『発達障害の人』と呼んでも、その人を主役、対象として考えており、決して発達障害という状態が主役なのではありません。」
そう言います。
また、発達障害という状態に注目をしたとしても、発達障害とは何ら恥じるものでは全くないと言います。
「こんな議論、私には全く興味はありません。」
そうダドリー助教授は言います。
しかし、ある言葉を選んだら、もう片方の言葉を受け入れたくないという人はいるのです。
「言葉とは、社会では本当に強力なものなんです。
それは、発達障害の私たちについて、他の人の理解をかたち作るものだからです。」
そう、発達障害の当事者であるブラウンは言います。
1980年代後半の頃まで、公式な医療記録において、知的障害の人は「まぬけ」「知恵遅れ」「狂人」と記述されていました。
発達障害の人についてどう呼ぶべきかの議論はこのような、過去に知的障害の人について侮辱的な用語が使われていたために、発達障害の人やそれを支援する組織などが神経質になって生じているのだろうとブラウンは言います。
「『発達障害の人』と言われたら、自分は発達障害であることよりも、まず『人』として認識されたいという気持ちになるのもわかります。まず、その人を見て、次に発達障害であることをわかってほしいのです。
しかし、発達障害の人たちは、知的障害の人たちに対してこれまでにあったような、大きな侮辱的な見方などがされてきたとは思えません。私はそんな目にはあってはいません。」
そう、発達障害のブラウンは言います。
ブラウンによれば、発達障害の人が、『発達障害の人』と自分自身を言ったとしても、障害ではなく、その人の人となりを尊重してほしいと言います。
そして、障害があっても、当事者はそれは何もおかしいことでないとも考えていると言います。
「障害であることを誇りに思っているくらいです。」
また、長年に渡って発達障害について取り組んできたダドリー助教授は、歴史的に考えることがあります。
ダドリー助教授は、1990年代半ば、米国障害者教育法が改正された直後から、発達障害の人たちと協力しあって取り組んできました。
そうして、その後に認識が広まるようになり、言葉が変化してきました。
そして、『発達障害の人』と呼ぶことに批判する人が後になってから現れてきたと言います。
発達障害の当事者のブラウン、そして長年に渡って発達障害の研究をしてきたダドリー助教授。
どちらも『発達障害の人』『発達障害がある人』その言葉のどちらでも、使う人が選べるべきだと考えています。
「障害のある人のそれぞれ、障害のある人たちのグループそれぞれに、異なる好みがあるのです。」
ブラウンは、どちらを使うべきかわからない人に次のようなアドバイスをします。
「機会があれば、まず質問してみてください。そして、使ってください。
グループにおいては、グループの中の多数が使っているほうを選んでください。
最悪なことは、その人たちの好みを故意に無視することです。」
ダドリー助教授は、問題とすべきことは言葉なんかではないと言います。
「大事なのは、それぞれの人を尊重し、そのために誠実に努力することです。
こうした議論が起こるのは、自分が所属することについて、尊重されるようにしたいからです。
どちらの言葉を使うべきなのかは問題ではありません。
私たちにそうした尊重が欠けている状況こそ、解決すべき問題なのです。」
(出展・画像:米ノースイースタン大学)
「発達障害の人」「発達障害がある人」、
呼び方、書き方の問題では、これもよくあります。
「障害者」「障碍者」「障がい者」
私は「発達障害の人」「障害者」とすることが多いです。
うちの子どもは重度の発達障害、知的障害です。お話もできません。そのために、どの言葉を使おうが気にすることもないでしょう。
また、私自身は例えば「障がい者」としたところで、それは誰にプラスになるとも思えず、見えない誰かへ当たり障りがないように、簡単無難な対応で「ちょっと配慮してる感」、ごまかしている感じがして嫌だからです。
なにより、気にするべきはそんな表面的なことではないだろうとも思うからです。
いちいちそんな言葉の使い方で、いろいろな方からなされる、多くの人が助かるような研究成果の発表や情報の発信が面倒になったり、躊躇されてしまうような事態になってしまったら。
そう考えると、発達障害の子である親としては特にそんな言葉へのクレームの一助にもなりたくありません。
それぞれの人が、自分が適切だと思う言葉をそれぞれに、選べばよいと思っています。
なにより障害者とは、その人が社会や誰かの障害になっているのではなく、障害に直面し、立ち向かっている人だと私は理解しているからです。
うちの子も本当によくがんばっていると思います。むしろ、たくさんのことを学ばせてくれる、尊敬できる人です。
そして、そんな言葉の使い方なんかよりも考え、取り組むべき対象は、直面されている「障害」のほうです。
ダドリー助教授に全く賛成です。
親やきょうだいは発達障害の子から多くのことを学ぶ。博士の手記
(チャーリー)