- 母親が子どもの発達障害を知るきっかけは何だったのか?
- 母親は子どもの発達障害にどのような反応を示したのか?
- 母親が今一番気にしていることは何か?
レニーは、最初の子どもを持ったときには、もう発達障害についてよく知っていました。
それは、これまでにもずっと発達障害と付き合ってきたからです。
「私の弟が2歳のときに発達障害と診断をされました。
そのとき、私は11歳でした。
私は弟を見てきたので、私の子どもも発達障害かもしれないと考えると本当に恐ろしくなりました。」
36歳のレニーは熱心に息子の面倒をみましたが、今2歳半の息子のアンソニーが発達障害であることはわかりませんでした。
「息子とはアイコンタクトが出来ていましたし、おもちゃでも遊べていました。
良く眠ることもできていました。全く問題はないと思っていました。」
レニーは、息子が自閉症スペクトラム障害だと知ると絶望しました。
「看護師が最初に指摘をしたのは、毎月の検診のときでした。
ダイエットをしたほうがいいといいました。
息子はすごく太っていました。
話が終わるまで、息子は好きなおもちゃで遊んでいました。
息子は回るものが大好きでした。
回るものが大好きなことから、発達障害の可能性があるかもしれないとも言いました。」
そう言われて私は固まってしまいました。
「私の夫もショックを受けていました。
正式な診断でもないのに、私も同じくショックでした。
当時、私のお腹には3ヶ月になる娘もいました。」
息子のアンソニーは1歳半のときに自閉症スペクトラム障害と診断をされました。
「息子は、退行をはじめました。
私たちは、他の子どもとは違うことを認め、育てるようになりました。」
母親のレニーは、息子のアンソニーが発達障害であることに苦しみました。
「私はうつ病になりました。
生まれた妹の最初の数ヶ月を楽しくすごしたことさえ記憶からなくなっていました。」
レニーは、家族の生活の全てが息子の発達障害の影響を受けているといいます。
今、一番頭の中にあることは息子をいじめから守ることです。
「私は息子のアンソニーを友だちに会わせるのは気が重いです。
息子のことを奇妙に見たり、他の子どもと比べるからです。
本当に難しいことです。」
レニーと夫のマイケルは息子のアンソニーに、自分たちがいなくなったあとに自立できるようにスキルを身につけてほしいと願っています。
「来年は、幼稚園に入れる年齢になりますが、入れるのか、どこに行けるのか、わかりません。」
レニーは仲間と発達障害についての啓蒙活動「ビー・ザ・ボイス」のために募金活動を行っています。
それは、本当に大事な子どもたちの声になりたいからです。
「発達障害は、見た目ではわかりません。
息子を見ても、発達障害には見えないとみんな言います。
私も何もおかしいところはないと考えています。
ただ、違っているだけなんです。
違ったように世界を見ているだけなんです。
とても得意なこともあります。」
母親のレニーは息子の世話をするのは簡単ではないものの、助けてくれる多くの人たちに恵まれていると言います。
「とても助けてくれています。みんな息子についてプロフェッショナルなんです。」
(出典・画像:豪Honey)
私にとっては、最初から恐ろしいなんて思ったことは全くなくて、少々面倒なことは多いかもしれませんが、ずっとかわいいだけです。
親がいなくなってしまった後のことを考えると、本当に心配です。それは同感です。
心配だけしてもしかたないので、今できることをしておきたいものですね。
発達障害とは現在進行形の人類の進化状態
(チャーリー)