- ベンにとってクレーンはどんな存在だったのか?
- ABA社のメンバーやクレーンの運転手たちはどのようにベンを愛し、尊重していたのか?
- ベンが亡くなった後、それぞれの思いや行動はどのように表れたのか?
ベン・ロートンは10月に亡くなるまで、20年の間、朝と夕方に通り過ぎるABA社のクレーンの運転手たちに挨拶をしていました。
発達障害とてんかんがあった35歳のベンの死因は窒息でしたが原因はまだ分かっていません。
ベンの棺は、父親からの話を受けてABA社の車で運ばれました。3台の大型クレーンも並んで走りました。
数十名が、クレーンが大好きだったベンの葬儀に出席しました。
ABA社のメンバーも棺を火葬場へ運びました。
65歳のベンの父親、スティーブがこう語ります。
「息子が小さかったときは、寝室からクレーンをよく見ていました。
たくさんのクレーンが集まっているのを見ていたんです。
10代になると、ベンは朝の5時、6時には起きてABA社のそばに行って、ずっとそこにいました。
ベンはABA社のクレーンについてたくさんのことを知っていました。
ベンに知り合いができると、ますます好きになりました。
ベンは発達障害でした。きっと頭の中はクレーンでいっぱいだったんだと思います。
息子は素敵な若者でした。とても幸せそうでした。
社会的には困難を感じることがたくさんありましたが、誰かと知り合いになるととても深い友情を感じていました。
ABA社によく行っていることは知っていましたが、これほどまでに仲良くして頂いていたことは知りませんでした。
私は本当に感動しました。信じられません。」
ABA社の管理職のアン・バゴットはこう言います。
「仲間たちはベンが亡くなったことを聞いて、泣いていました。
ベンはいつもそこにいました。
ベンは全部のクレーンを知っていて、運転手のこともみんな知っていました。
それぞれのクレーン車のエンジン音の違いもわかっていました。
ベンは、自分の自転車を私たちのクレーンと同じ緑色に塗っていました。
ベンはクレーンが大好きでした。
クレーンの運転手はみんな、ベンのことが大好きでした。
いつもそこにいてくれました。
みんな、いつもベンと話をして、アイスクリームをあげたりもしました。
安全面の問題から、会社の中にいれてあげることはできませんでした。
今は本当に後悔しています。
ベンはすばらしい若者でした。」
クレーンの運転手のシモン・ワードはこう言います。
「ベンは毎日、会社の門のそばに立っていました。
毎日、クレーンが戻ってくるまで、いつもそこにいました。
しかし突然、ベンはもうそこにいなくなりました。
不思議な感じがします。
本当に悲しいです。
本当にベンはクレーンが大好きで、よく知っていました。
だからこそ、私たちもみんな、ベンに敬意を表して何かをしたいと思ったのです。
私は、ベンと一緒に立っていたことがあります。
ベンがクレーンが来ると言いました。
「ビッグ・ジムが来るよ!」
ベンは全てのクレーン車のエンジン音と運転手の名前を知っていたのです。」
ABA社はベンの銘板を作りました。
ベンが立って手を振っていた門のところに、今はとりつけられ飾られています。
(出典・画像:英METRO)
涙が出ました。
こんなにもみんなに愛されていたんですね。
雲の上から、もっともっとたくさんのクレーンが見えていたらいいなと思います。
17年間、発達障害の息子と父は駅に通う。
(チャーリー)