- 大人になってから自閉症と診断されることはあるのか?
- 自分が発達障害かもしれないと感じているが、どのように対処すれば良いか?
- 自閉症やADHDを持つ子供が学校生活をうまく乗り越えるためにはどのような支援があるのか?
John Howard は13年間に14回も、金網で囲まれた八角形のUFCの舞台で試合をしている格闘家。
33歳になって、大きな大会の前の検査で自閉症だと診断されました。
彼は、それまでずっと自分が自閉症であることを知りませんでした。
「子どもの頃は、スピーチや学校での授業、友達づくりがとても苦手だった。
どもりもあって泣いてばかり、言葉を発するのにも苦労をしたよ。
友達のグループの中で話さなければならない時には、頭が麻痺してしまい、
しまいに頭のなかはもやもやでいっぱいで、学校はどんどんひどい場所になっていったんだ。」
Howardが言います。
「学年があがっても、いつも特別教育クラス。学習障害があっていつも苦労をした。
まだ、その頃は自閉症やADHDなど、今は知られていることが知られていなかったんだ。
それを理解しようとする研究も始まっていなかった。
だから、何かしら障害がある、知的に足りないと、半ば強制的に特別教育クラスに入れられたんだ。
自分は子ども時代はずっと特別教育クラス。のろくて馬鹿だと思われていたから。」
「すごく辛くて怖かったことは、いつもテストをされたこと、
そして、いつも殴られそうで怖かった。知恵遅れと呼ばれていた。そしてこう言われていた。
「どうして知恵遅れクラスにいるかだって?話せないし、馬鹿だからだよ。」 」
成長するにつれて、Howardはお母さんの手助けを受けながら、学校生活に自分の考えをあわせていくやり方を学んでいきました。
お母さんは決して、幼児扱いをしませんでした。
ずっとやさしくも、言葉と概念を正しく覚えるまで、何度も何度も繰り返し勉強させました。厳しい愛です。
Howardが高校生になる頃には、まだ特別教育クラス向けの授業コースの半分しか終えていませんでしたが、通常クラスで同級生にばれることなく、数学や歴史などの授業を受けていました。
「お母さんが応援し続けてくれたんだ。不可能なことはない。できそうなことでなくても、不可能ではない。という考えがあって。」
「自分の個人的な目標は、とにかくやり続けることだった。それが正解と思えるまで。
失敗するかもしれない。失敗を恐れて、誰もが失敗はしたくないと思っている。
でも失敗はしてもいい、再挑戦すればいい。
何度も何度も挑戦すれば、いつか正解にたどりつく。知恵遅れと呼ばれた自分のような状況であっても。」
Howardは今でも、頭が混乱します。
それは休みなくずっと計算をしているような状態、ずっとチェスの試合をしているような状態、スピーチの前の緊張が永遠につづいているような状態だといいます。
そうなった時にはひとりになって、頭のなかのブザーを止める、静けさを取り戻すために学んだレッスンを思い出します。
自閉症と診断されたことは、Howardがずっと抱えていたものの、理解できなかった感覚を人に伝えることができるようにするものでした。
「それは、医学的な用語でラベル貼りのようなもの。私は自分に障害があるとは考えていない。
むしろ、有利なことのように考えてる。
私の障害(そう呼びたければ。)は私のもの。人が自閉症を障害と考えるなら、私はむしろ自閉症を才能と考えてる。」
昔とは人生が別なものになりました。
彼は格闘家となり、人生で得たチャレンジする精神は、周りに強い影響を与えています。
彼は自分の体験から言います。
「自閉症で苦労している幼い子どもに大事なのは、
「人生はもっとよくて、ちょっと何かすればそうなる。」
ことを理解していて、一緒に進んで行ける人に出会うこと。」
(出典・画像:www.mmafighting.com)
自閉症の方をひとくくりにして考えることは適当ではありません。
しかし、こういう方もいて、このように伝えてくださるのはとても励みになります。
40歳をすぎてから発達障害と診断された女性もいます。
発達障害は男性だけのものではない。
(チャーリー)