
- 自閉症や発達障害を持つ人々が診断を受ける際に、どのようにして本質的な特性が見過ごされることを防げるのか?
- 医療機関での診断が遅れる理由には何があるのか?
- 摂食障害を抱える自閉症スペクトラムの人々にはどのような治療法が効果的なのか?
医学の分野には「診断の影」という概念がある。
これは、一つの診断が強調されることで、他の病気や特性が見過ごされる現象を指す。
とくに、自閉症の女性やジェンダー多様な人々は、他の精神疾患や身体的な問題が目立つことで、本来の自閉症の特性が見落とされることが多い。
私自身もその一人だった。
しかし、これが私の自閉症診断が遅れた理由のすべてではない。
私は医療機関に17年間関わり続け、ようやく自閉症の診断にたどり着いた。
それも、自分で探し求めた結果だった。
17年——それは誰にとっても長い時間だ。
新生児が成人するほどの年月。
そして医学の世界では、新しい研究成果が臨床に取り入れられるまでに平均17年かかると言われている。
私が初めて医療機関を訪れたのは18歳のときだった。
めずらしい胃の病気を発症し、食事をすると無意識のうちに嘔吐してしまうようになった。
治療法のない病気だったため、私は吐く原因になりそうな食べ物を避けるようになった。
気づかぬうちにその行動はエスカレートし、やがて摂食障害へと変わっていった。
完璧主義、不安定な自己認識、強い感情——摂食障害に陥りやすい性格特性を私はすべて持っていた。
私の拒食症は、非常に「目に見える病」だった。
そのため、医療機関での診察は常に摂食障害の治療が中心となり、自閉症の可能性は見落とされ続けた。
このような「診断の影」は、多くの場合、本人が無意識に行っている適応行動によって引き起こされる。
違和感のある世界に適応しようとする結果、不安障害や気分障害、依存症、強迫行動、摂食障害のような二次的な問題が生じる。
それらの症状があまりに明白なため、医師も患者自身も本質的な問題に気づかないのだ。
摂食障害の死亡率は非常に高く、治療を受けても回復が難しい病気だ。
医師からは、「拒食症患者の3分の1はこの病気で命を落とす」と言われたこともある。
私が生き延びられたこと自体が奇跡だったのかもしれない。
医療の世界では、拒食症患者は「病識がない」とされる。
つまり、患者が「私は拒食症ではない」と主張すること自体が、病気の証拠とされてしまうのだ。
あるとき、私は病院の管理栄養士が作成した冊子を見つけた。
そこには、拒食症の患者について「不機嫌で反抗的」「敵意を持っている」「ずる賢く、治療を拒む」と書かれていた。(さすがに今ではこんな表現は使われていないことを願う。)
この「患者の言葉を信用しない」という姿勢は、私にとって大きな問題だった。
私は拒食症ではないとは言わなかった。
ただ、自分の拒食症が典型的なものではないことを訴えたかった。
しかし、どの医師も私の言葉を信じようとしなかった。
彼らは何度も「体型に対する不安はあるか?」と尋ね、私が「ない」と答えると、微妙に言い方を変えてまた同じ質問を繰り返した。
まるで、私が「本当のこと」をうっかり口にするのを待っているかのようだった。
最近の研究では、拒食症の患者のうち20〜30%が自閉症スペクトラムに該当する可能性があるとされている。
一般人口における自閉症の割合(約1%)と比べると、これは驚異的な数字だ。
医学の世界は、厳密な診断基準に基づいて成り立っている。
しかし、実際の人間の心と体は、そんなに明確な線引きができるものではない。
診断の影が生じるのは、こうした曖昧な境界線を見落としてしまうからだ。
私が自閉症と診断されたことで、長年感じていた「生きづらさ」の正体がようやくわかった。
それは、私自身の欠陥ではなく、単なる「違い」だった。
そして、「違い」は「欠陥」ではない。
今では、自閉症の特性を考慮した摂食障害の治療が模索され始めている。
これまでの治療法は、私たちの脳の特性を考慮していなかった。
私自身、標準的な治療法がまったく役に立たず、自己責任のように感じていたことを思い出す。
しかし、今や研究が進み、適切な治療法の開発が進んでいる。
そして、一度得られた知識は消えることはない。
見えなかった人々が、ようやく「見える存在」になりつつある。
かつて、私は医師たちに理解されず、見落とされてきた。
しかし、これからは同じような苦しみを抱える人が少なくなるかもしれない。
それが、私にとって何よりの救いだ。
(出典:豪THE CONVERSATON)(画像:たーとるうぃず)
こうした誤診が減るように、ますますの実態研究と理解が広がることを願います。
(チャーリー)