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知的障害の妹を55年守り続けた姉。終わらない孤独な愛の道

time 2024/09/21

この記事を読むのに必要な時間は約 7 分です。

知的障害の妹を55年守り続けた姉。終わらない孤独な愛の道
  • 介護の役割を担うことで、どのように自分の人生を生きることができるか?
  • 障害を持つ家族を支えることは、どのように心身に影響を与えるのか?
  • 介護者としての自分と、家族の一員としての自分をどう調和させるべきか?

「遺産」と聞くと、多くの人が誰かの役に立つ素晴らしいものを思い浮かべるかもしれません。
でも、私の受け継いだものは、誰も望まないものです。

知的障害を持つ妹の姉として、私は「一生続く介護」という遺産を受け継ぎました。

この遺産のせいで、私は普通の人生を失いました。
もしその大変さや疲れをあらかじめ知っていたら、今ここにいる自分を選んだかどうか正直わかりません。
妹の世話をするのが私の役割で、その役割はもう55年続いています。

私の子供時代は、ただ生き延びることで精一杯で、ぼんやりと過ぎ去ってしまいました。
当時は、親を助けてくれる支援機関なんてなく、私が「3人目の親」として家族を支えることになったのです。

きっとその状況はかなり過酷だったのでしょう。
私は5歳のとき、家を出ようとしたことがあります。

学校では、クラスメートと普通に会話することができず、将来の夢を語ることもできませんでした。
毎日をどう乗り切るかに集中し、親と一緒に妹の生活をどう支えるかを考える日々でした。

私たち姉妹の関係は、いわゆる普通の「姉妹」ではありませんでした。
妹はよく怒りを爆発させ、暴力的になることもあり、私は常に彼女が怖かったのです。

それでも、通りや学校でいじめられたときには、妹を必死で守りました。
その経験が、ある意味では私たちを結びつけたのかもしれません。

幼い頃の私は、「自分たちが壊れているから、皆が私たちをいじめるのだ」と信じていました。
でも、妹はそのことを理解していなかったので、私は彼女を守らなければならないと思っていました。

10歳の頃、いじめられたときに妹が泣き出し、私は彼女を抱きしめました。
すると、初めて彼女も私を抱きしめ返してくれました。

今振り返ると、あれが私たちの間に「愛」があった瞬間だったと気づきます。

18歳になると、私は家を出ました。
介護から逃れるために、遠くへ行ったのです。
母は怒りましたが、父はとても理解してくれました。

振り返ってみると、それは逃げたというより、25年間の「介護からの休暇」だったように感じます。
両親が手に負えなくなると私は家に戻り、手助けをしましたが、日常の介護から少しでも距離を置けることが嬉しかったです。

何年も、私は両親に妹をプロの介護施設に預けるよう説得しようとしました。
両親が元気なうちに、妹を施設に慣れさせておきたかったのです。
誰かが亡くなってからでは、妹にとって悲しすぎるだろうと思ったからです。

しかし、両親は「私が妹の面倒を見るだろう」と期待していました。
彼らは妹をとても愛していたので、手放すことができなかったのです。

両親が年を重ねるにつれ、介護の役割が再び私の生活に戻ってきました。
今度は妹だけでなく、両親の介護もしなければならなかったのです。

両親は重い病気を抱え、数年の闘病の末に亡くなりました。
そして、ついにその「遺産」が私のもとに完全にやってきたのです。

妹の介護施設を見つけ、NDIS(障害者支援)のサポート、後見人制度、財政管理、医療の手続きを整えるのに、1年かかりました。

私が本当にやりたかったのは、両親を失った悲しみを静かに感じることでした。
今、私は妹の後見人です。
それが私の全てのように周りの人には見えます。

人々は「自己犠牲の兄弟」「献身的な介護者」として私を見ますが、それがこの「遺産」の現実を表しているわけではありません。
私の生活は、週7日、決断の連続です。

政府機関、支援サービス、医師やセラピストとのやり取りが絶えず続き、休日はそのための面会や打ち合わせで埋め尽くされています。
どのやり取りも、感情がかき乱されるものでした。

妹の世話は、精神的にも肉体的にも消耗する仕事で、それは私の人間関係にも影響を及ぼしました。
恋愛関係は、妹の世話というプレッシャーに耐えることができず、うまくいきませんでした。
親しい友人と過ごす時間やエネルギーもなく、私はいつも圧倒され、孤独を感じています。

これは、誰もが望む「遺産」ではありません。
同じような立場にある兄弟たちが、悲しみや孤独を抱え、自分たちの運命を理解し、そこから逃げ出そうと苦しんでいるのをよく見かけます。

彼らは親と向き合って、難しい会話をすることに苦しんでいますが、その対話はとても大事です。
正直に言えば、もし両親がもっと早く妹を施設に預けていたら、私たち全員がもっと違う人生を歩めていたと思います。

両親は、介護のプレッシャーから解放されて、二人で穏やかな老後を過ごすべきでした。
私は私の人生を計画し、自分の人生を生きる権利がありました。
そして、何よりも妹には、どんなに小さなことでも自分の能力を伸ばす権利があったはずです。

今、妹は素晴らしい介護スタッフに支えられています。
それは、この遺産の中で唯一素晴らしいことです。

でも、私にとっては、歳を重ねるにつれ未来がますます重く、孤独に感じられます。
責任から逃れることはできません。
それはあまりにも冷酷すぎることだからです。

私が孤独でも、妹には孤独を感じてほしくありません。

妹には私しかいないのです。
彼女を愛してくれる人が必要です。
お金をもらって世話をしている人ではなく、無償でそこにいてくれる人が。

私は「姉」として何をすればいいのか、まだよくわかりません。
ただ、介護者でいることが「姉」であることなのかもしれません。

(出典:豪SBS)(画像:たーとるうぃず)

耳あたりの良い「きょうだい」の話ばかりでなく、こうした現実も意識しなければなりません。

私は、うちの子のきょうだいにはこんな思いは、できる限りさせないようにします。

これまでも、これからも。

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(チャーリー)


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