- 言語がなくても思考はできるのか?
- 言語障害があっても認知能力は正常なのか?
- 言語は思考よりもコミュニケーションのためなのか?
言語は人類を特徴づける重要な要素であり、長い間哲学者や科学者たちはその本来の目的について考察してきました。
私たちは言語を使って情報を共有し、アイデアを交換しますが、言語はそれ以上のものなのでしょうか?
言語を通信の手段としてだけでなく、思考するためにも使っているのでしょうか?
米マサチューセッツ工科大学(MIT)の研究者たちは、神経生物学、認知科学、コーパス言語学からの証拠をもとに、言語は思考のためのツールではなく、コミュニケーションのためのツールであると主張しています。
彼らの研究によると、言語は主に情報を共有する手段です。
マクガバン脳研究所の神経科学者であるエヴェリーナ・フェドレンコらの研究チームとは、「Nature」誌に発表した論文で、言語と思考との間には直感的なつながりがあるとしつつも、その関連性が実際に言語を使って思考している証拠にはならないと説明しています。
多くの人が内なる声が自己の思考を語っているかのように感じることや、話が上手で表現力のある人が明確に考える人であると期待されることがあります。
しかし、これらの直感は証拠にはなり得ません。
科学者たちは、言語と思考を区別する試みを進めており、これまでに得られた証拠は、言語がコミュニケーションのためのツールであるという考えを支持しています。
フェドレンコはこう述べています。
「実際には、私たちが言語処理のメカニズムを見る方法を使うと、思考するときにこれらのメカニズムが本当に関与していないことがわかります」
言語処理のメカニズムを取り除いても、思考は問題なく行われることが示されています。
言語障害を持つ人々の観察からも、言語の処理能力が失われた後でも、数学の問題を解いたり、将棋を指したり、将来の計画を立てたりする能力が損なわれないことが確認されています。
「言語が我々が推論に使う核となる表現を提供するのであれば、言語システムを破壊することは、思考にも問題を引き起こすはずですが、実際にはそうではありません」
一方で、「知的障害」とは、思考や推理能力が制限される障害の一種ですが、必ずしも言語障害とは関連していません。
知的障害を持つ人々が基本的な言語機能に問題を抱えているわけではなく、言語が思考に必要ではないと同様に、明確な思考を生み出すために十分なものでもありません。
言語がコミュニケーションの道具としてどれだけ適しているかについても考察されています。
言語分析からは、言語が情報伝達をできるだけ効率的にする方法で最適化されていることが示されています。
言語の形式がコミュニケーションを容易にするように最適化されていることは、言語が主に内部的な思考のツールではないことを示唆しています。
言語は強力な知識伝達のツールとして人間の認知の洗練さを反映していますが、それが認知を生み出すわけではありません。
(出典:米MIT)(画像:たーとるうぃず)
うちの子は重度の自閉症で知的障害があり、話すこともできません。
困っていたらすぐに助けたいですし、うれしかったら一緒に喜びたいので、どういう思考をしているのか、話すことができないので、ずっと考えてきました。
小さかった頃よりも、今の方が、私の言っていることはすごくわかるようになりました。
頭の中では話すことはできていても口に出せないのか、それとも、頭の中でも話せなくても私の言うことは理解できるのか、
うちの子がどっちなのかはわかりませんが、後者の可能性もあるということなんですね。
(チャーリー)