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自閉症やADHDを30年、診てきて「神経多様性」に思うこと

time 2023/06/11

この記事を読むのに必要な時間は約 9 分です。

自閉症やADHDを30年、診てきて「神経多様性」に思うこと
  • ADHDは本当に障害なのか、それとも単に違うだけなのか?
  • 文化によってADHDや自閉症の捉え方はどう変わるのか?
  • 発達障害に対する偏見をなくすためにはどうしたら良いのか?

30年以上精神科医をやっていると、注意欠陥・多動性障害(ADHD)について、たびたび疑問を抱くことがあります。

これは障害なのだろうか?
ただ、少し違うだけではないのか?
私たちの文化では障害とされても、他の文化ではそうならないのではないのか?

ADHDの人は、より自発的で、より気が散りやすく、より次のことに興味を持ち、退屈だと思うことに集中し続けることができないようにできているようです。
ただ、そういう人なのです。

昔は、「そういう人」であることが問題になることは少なかったかもしれません。
子どもたちは1日6時間学校で勉強することも、大人たちは1日8時間もパソコンの画面を見て頭を使う仕事もすることもありませんでした。

おそらくADHDは、現在の世界の要求と、私たちの進化した性質との間のミスマッチに過ぎないのでしょう。
障害ではないのかもしれません。

しかし、私はADHDがまったく障害ではないとも考えることはできません。
それは、医師としての経験がそうでないことを証明しているからです。

夜遅くまで仕事をしていたにもかかわらず、仕事をクビになりそうなADHDの人がいました。
彼が仕事を守るのに必死で、関係を無視していために、その人のパートナーは離婚の準備をしていました。

しかし、この人は治療によって、仕事も人間関係も救われ、これまでに経験したことのない幸福を手に入れることができました。

こうしたADHDの人の経験は、これまでの研究でも確認されています。
ADHDは、人間関係の破綻、仕事上の困難、交通事故の増加、薬物乱用、気分障害、その他多くの合併症と関連しています。
ADHDは人生を変えるものですが、一方で、非常に治療しやすいものです。

たとえ、「そのような人」なのだとしても、重度のADHDであれば、それは障害と考えるべきだと私は思っています。
軽度のADHDについても、おそらくそう考えるべきです。
しかし、その線引は簡単ではありません。

「ニューロダイバーシティ/神経多様性」について考えてみます。
ニューロダイバーシティとは、ADHDや自閉症スペクトラムのような発達障害は「障害ではない」という考え方です。

ADHDや自閉症スペクトラムの人は、病気でもなければ障害でもなく、単に人間としての異なるあり方であり、異なるメリットやデメリットがある。
これらの症状を障害と決めつけ、それを抱えた人に何か問題がある、あるいは欠陥があるかのような態度をとるべきではないとします。

ニューロダイバーシティは、発達障害が障害でも病気でもないことを教えてくれます。

民族や性別、性的嗜好の違いと同じように、人間の多様性を構成する正常な要素に過ぎないのです。
自閉症を「治そう」とするのは、黒人であることを「治そう」とするのと同じで、誰も試みるべきではありません。
社会が、異なる人、ニューロダイバーシティの人を排除し、病的に扱うのをやめることを求めます。

ニューロダイバーシティの極端な考えも正しいとするなら、精神科医が自閉症を治療することは、1970年代以前に精神科医が行っていたように、誰かをゲイから「治療」しようとするのと同じことになります。

この論理によれば、自閉症スペクトラムを診断し治療する精神科医は、ただ異なっているというだけで、ただ乖離しているというだけで個人を見下し、病理化していることになります。

しかし、中等度から重度のADHDと同様に、中等度から重度の自閉症スペクトラム障害も、医学と私自身の経験の両方から、「障害」であると私は考えています。
また、軽度の自閉症スペクトラムも同様であると思います。

しかし、発達「障害」の線引きを正確に行うことは、人間には不可能なことかもしれません。

普通の人間においての、不注意はどこまでが許されて、どこからADHDの人とされる不注意の範囲が始まるのでしょうか?

社会性の欠如、強迫的で狭い興味について、どこまでがオタクの人と扱われ、どこから自閉症の症状とされるのでしょうか?

この難しい問題について、私はここで答えを出そうとは思いません。
私が伝えたいのは、ニューロダイバーシティの考えには一理あるという信念です。

ある意味では、ADHDや自閉症のような状態は、人間に共通する特徴の極端な分布であり、長所であり強化された能力です。
一方で、注意力や社会的認知といった人間の機能が著しく低下している状態でもあります。

そのため、発達障害は障害ではないという主張には反対であっても、多くの精神科医は、ニューロダイバーシティの考えを支持する人たちの考えの多くに賛成できると思います。
私自身はニューロダイバーシティの考えを支持しています。
しかし、たった一つだけ、本当に問題だと思うことがあります。

「障害をもつことは問題である」

と考えていることです。
ニューロダイバーシティには、「障害」と診断されることは人を無力化し、萎縮させ、卑屈にさせるという考え方があります。

障害をもつことは、卑下されるものではありません。
障害をもつことも、人間の一つの状態です。ただ違うだけです。

私たち誰もが、死ぬまでに障害をかかえる可能性があります。
病気や障害と無縁で人間らしい生活を送ることはできないのです。

たとえば、米国の成人の60パーセントが、常に少なくとも1つの慢性疾患に悩まされています。
また、約55パーセントの人が、人生のどこかで精神疾患を経験することになります。

慢性疾患や精神疾患を患うことは、何らめずらしいことではありません。
そのような病気を抱えているからといって、他の多くの人間から切り離されたり、根本的に異なる存在になったりすることはありません。
誰もが病気を抱えています。誰もが、時には治療を必要とします。
私たち全員がそうなのです。

たしかに、診断や治療が人に汚名を着せたり排除したりするために使われることもありました。
旧ソ連では、好ましくない政治的信条を持つ個人は精神異常者として扱われました。
前世のアメリカでは、ドラペトマニア(奴隷が自由を求める強い欲求)が精神疾患としてでっち上げられました。

しかし、診断がそのように利用される時代は終わったのです。
障害を理由に排除されたり、劣等生として扱われたりすることはもうありません。

「障害ではない」と否定するだけでは、偏見の問題を解決することはできません。
むしろ、それは障害に対する偏見を暗黙のうちに支持することになります。

私たちは皆、障害と偏見を切り離す努力をするべきです。
偏見は、集団が仲間を「他者」として排除する手段であり、有害で破壊的なものです。
障害は私たちに思いやりと共感を引き起こすべきものであり、偏見をもったり拒絶するものではありません。

私たちがするべきことは、これまでに研究が進んできた発達障害の存在を否定することではありません。
発達障害に対する偏見をなくすことです。

発達障害は「障害ではない」と決めることではありません。
障害でないかどうかは、本人と家族が医師などと相談して決めることです。

するべきことは、障害をもつすべての人が社会に完全に受け入れられ、思いやりとサポートをもって扱われるようにすることです。
ニューロダイバーシティの支持者と精神科医、どちらも次の合意ができるはずです。

「発達障害を見下す人がいない、それらの状態が受け入れられ、治療も求められる世界を一緒に実現する」

米タフツ医療センター 一般精神科レジデンシー トレーニングディレクター
精神科医 ダニエル・モアヘッド博士

(出典:米Psychiatric Times)(画像:Pixabay

「これは障害ではない!」

と叫ばなければならない世界よりも、

「別に障害があってもいいでしょ」

という世界のほうがみんな過ごしやすいと私も思います。

発達障害当事者の私が思う「ニューロダイバーシティ」の問題点

(チャーリー)


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