- マスキングをしていることに気づくきっかけは何か?
- マスキングを止めた後、本当の自分を見つけることで何が変わったか?
- 発達障害の理解を深めるために、社会がどのような取り組みをすべきか?
「ずっと演技をしていると、自分が演じているキャラクターと自分との間で混乱してしまうんです」
大学生の頃からマスキングを始めたという30歳のABは言います。
私も同じです。
私もずっとマスキングをしていました。
ロースクール4年生のときにマスキングのレベルを上げたところ、当時の私を知っている人によると、一夜にしてまったく別の人間になったように見えたそうです。
私は自閉症です。
自分でも知らないうちに、「発達障害」を隠すために「マスキング」をしていたのです。
マスキングとは発達障害の人が自分の本当の姿を抑圧することです。
カモフラージュという名前でも知られています。
しかし、その背景にある動機は同じです。
それは、人と違うことで同情されたり、見下されたり、おべんちゃらを言われたり、仲間はずれにされたり、嫌われたり、嫌がらせを受けたり、いじめられたりするのを避けるためです。
自分が「最高の普通」になって「仲間に入る」ことです。
印ニューデリーのNGO「アクションフォー・オーティズム」のニディ・シンファはこう言います。’
「これは生存戦略です。
意識的にも無意識的にも、他の人気者や好かれている子どもを観察し、
声のトーンや使う言葉、笑顔、アイコンタクト、さらには一般的な振る舞いを手本にするのです」
しかし、自分がマスキングをしていることがわからないこともあります。
なぜなら、時が経つにつれて、マスキングした自分を本当の自分だと信じ始めてしまうからです。
32歳のシャオニーはこう言います。
「私にとってのマスキングとは、不快な状況を乗り切るための、自分の自動操縦でした。
自分が自閉症であることに気づいて、初めてマスキングをしていることに気づきました」
カモフラージュすることで、自分の長所や特徴、快適さや不快さに対する理解が制限されます。
そして、自分の本能を信じる能力までも阻害されてしまうのです。
心理療法士であるタヌカ・レイはこう言います。
「自分が発達障害だとわかったとき、最初に浮かんだ疑問は『自分は本当は何者なのか』ということでした」
自分の特徴のうち、どれがマスキングで、どれが自分のものなのかがわからないことが、発達障害との関わり方を複雑にします。
多くの自閉症の人にとって、このような自己認識の歪みは、マスキングが精神的な健康に与える影響以外にも、しばしばアイデンティティの危機に発展します。
ABは「長期的には自分自身の認識全体が歪んでしまいます」と言います。
シャオニーもABと同じ意見です。
「30代になっても、自分が何者なのかよくわかりません。
マスキングを行っていた自分の写真を見ても、それが本当の自分なのかどうかわからなくて耐えられないんです」
過去の写真を見ることができないというのは、多くの人にとって不思議なことかもしれません。
しかし、私もシャオニーと同じ感覚をもっています。
私も自閉症であると診断される前の写真を見返すと、ボディスーツを着た知らない人を見ているような気がします。
人と体が触れ合うこと、特にハグをすることが苦痛でたまらないのに、どうやってたくさんの人とハグをしたのか。
また、複数の人が同時に話をすると悪夢のような感覚に襲われるのに、どうやって5人以上のグループと交流することができたのか。
デジタルで保存された自分の過去の瞬間を見れば見るほど、私は混乱してきます。
シャオニーは、人との関係にも影響を受けています。
「マスキングをしていた頃の自分を知っている人たちとつながることがとても難しいのです。
彼らが期待している、いつものマスキングをしている自分とは、もう違うからです」
残念ながら、発達障害を受け入れることを意識的に決断したにもかかわらず、多くの人がマスキングをやめられずに苦しんでいます。
ABは、この無意識あるいは潜在的に行うマスキングを自分の「初期設定」と呼んでいます。
この初期設定は、社会的な場面で自動的にスイッチが入ることが多く、特に自閉症の自分が周囲から拒絶されていることに気付いたときに、その傾向が顕著に現れます。
幼少期に学んだことは、大人になっても残っています。
残念ながら、多くの自閉症の人にとって、その教訓は「本当の自分でいてはいけない」ということです。
タヌカは、たとえ社会的な抑止力がなくても、自分がどうあるべきかという長年の条件付けが、マスクをする必要性を高めてしまうことがあると言います。
マスキングを止めてから、私は積極的に社会的な交流を避けるようになりました。
人と接するたびに、マスキングをしなければならないからです。
自分でもどうしようもないことですが、多くの場合、マスキングをしていない状態ではどうすればいいのかわからないからです。
しかし、マスキングをしないことは、まわりに心配をすることなく、世界から刺激をうけることができることだと私は知りました。
自分の表情を気にする必要はありません。
アイコンタクトを怠ったり、やりすぎたりすることの心配もありません。
「遅い」と言われることを恐れずに自分のペースで刺激を処理することができます。
周りの目をもう気にしないので、おもちゃをいじったり、自分が一番快適な姿勢で過ごすことができます。
しかし、人と一緒にいるときは、自分が快適だと思うことが何もできません。
人と一緒にいるときは、常に自分ではないキャラクターを演じているように感じます。
それが続けば続くほど、気持ちが萎えていきます。
タヌカは、自分の「好奇心の空間」に入り込むことで、長年のマスキングがもたらしたアイデンティティの崩壊を克服するプロセスが始まったといいます。
好奇心に基づくアプローチは、私にも有効でした。
インスタグラムの写真の「見た目」で判断するのではなく、写真を撮影したときの気持ちを思い出してみるのです。
多くの場合、カメラに収められた事例についての記憶は、痛みや不快感、不安などのものです。
そして何よりも、その場に溶け込むための激しい葛藤を思い出させます。
マスクをぬいだ、本当の自分を発見する旅は簡単ではありません。
思い出の場所を長く歩いたり、自分について知っていることをほとんどすべて疑ったりする必要があります。
しかし、このプロセスはやりがいがあります。
それでも、自分が何者であるかを知ることでマスキングの長期的な影響を軽減することはできても、マスキングの必要性をなくすことはできません。
それには、社会の理解が必要です。
最近では、自分の人生経験を語る発達障害の人が増えています。
私たちは欠陥や障害と捉えるのではなく、そして同質性ではなく個性を尊重することを学ばなければなりません。
(出典:印THE SWADDLE)(画像:Pixabay)
発達障害、自閉症などに関わらず、程度は違えどマスキングは誰でもしているはずです。
なので、辛いマスキングをせっかく止めたのたら、
「本当の自分」探しにがんばり過ぎて、辛くなってしまうことがないように願います。
マスキングをしている自分、していない自分、全部ひっくるめて自分です。
無理せず、ありのままでいいと私は思います。
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(チャーリー)