- 自閉症の子どもが他の子どもたちと一緒に遊べる方法はありますか?
- 自閉症のきょうだいをもつ家庭で、どのように兄弟姉妹の理解と愛を育むことができますか?
- インクルーシブ教育はどのようにして子どもたちの偏見を減らすことができますか?
障害をかかえる人たちは少なくありません。
しかし、私のまわりにはいませんでした。
私の教室や地域は、民族的、文化的、社会経済的に多様でしたが、障害を持つ友だちは一人もいませんでした。
私が初めて愛した障害者は娘のミミでした。
ミミは愛想がよく、言葉を話さない自閉症の子どもです。
ミミは動物と物理が大好きで、私からすれば人間の中で一番かわいいです。
ミミは2歳のときに診断されましたが、初めて「自閉症」という言葉が出てきたとき、私は恐怖に包まれました。
この恐怖は、私の無知と能力主義に基づいていたことを今は知っています。
以来、私は自分の無意識の偏見を明らかにし、それを取り除く旅を始めました。
主に、自閉症の子どもをもつ親たちから寛大な教えを受けました。
そして、ミミの妹のヘジンが先生でした。
ヘジンは発達障害などをかかえていません。
つまり同年齢の子どもとしては典型的な発達をしています。
ヘジンは自己主張が強く、社交的で、おしゃべりな幼児です。
ヘジンが私の中に何十年もあった偏見を解き明かす手助けをしてくれます。
ミミが音声を発生するタブレットを使い始めたとき、私はそれによってミミがまわりから目立ってしまうのではないかと心配しました。
しかし、妹のヘジンはミミがそれを使うようになったことがうらやましくて、2台目のタブレットを購入して同じ音声プログラムをインストールしました。
ヘジンは私に、支援機器は羨ましいものであり、違いは望ましいものであると教えてくれました。
二人の姉妹はタブレットを誇らしげに持ち歩き、ノイズキャンセリング・ヘッドフォンとお揃いのチューリップのネックレスをしています。
ミミは妹のヘジンが遊ぼうと誘うとよく逃げ出します。
最初はヘジンが拒絶されたと感じて寂しい思いをするのではないかと心配しました。
しかし、ヘジンはミミが自分のおやつを分けてくれるので、ミミが自分を愛していることを知っています。
ミミはヘジンのダンスを見て大笑いするので、彼女はミミの愛を知っています。
ヘジンは言います。
「ミミはヘジンを愛している。ミミが大好き」
ヘジンと同じように、私の友人の子どもたちもミミが違うことを知っています。
そして、ミミの違いを好奇心旺盛で素晴らしいことだと考えています。
子どもたちはミミの周りでより優しくなります。
走れば、ミミが追いつくのを待っています。
ミミの後をついて回り、ミミの注意を引きつけようと競争します。
ヘジンとミミの友だちに触発されて、私の友人とで私は、発達障害の子どものために作られた空間で、発達障害の子とそうでない子が一緒に遊ぶインクルーシブプレイグループを作りました。
今年の夏には、3歳から5歳の子どもたちを対象としたインクルーシブ・サマースクールプログラムを試験的に実施しました。
子どもたちは仲間の違いについて質問をしましたが、私と先生は、
「みんな違う、それが素晴らしい」
という表現で答えました。
この説明で子どもたちの好奇心は満たされ、すぐに遊びに戻っていきました。
子どもの遊びは、偉大な平等装置です。
適切な環境で、子どもたちが主導権を握っていれば、違いを「悪いこと」とみなす状況はありません。
そこでは、障害は人間の多様性の一つの形に過ぎません。
幼い子どもたちが、いかに人に包括的であるべきかを、生まれつき知っていることに畏敬の念を抱いています。
私もこのことを知っていたに違いありませんが、それを実現するための多様な友人関係がなかったために、その知識は長い間忘れ去られていました。
だからこそ、幼い子どもたちに自分とは異なる子どもたちと遊ぶ機会を与えることが大切なのです。
近い将来、私たちのプログラムに参加している子どもたちは、「障害者」や「発達障害」「自閉症」という言葉を、自分や仲間を呼ぶものとして耳にすることになるでしょう。
私の願いは、子どもたちが経験した友情の文脈の中で、これらの言葉が理解されることです。
私たち家族はというと、ミミは自分が自閉症であることを知っていますし、もうすぐ私は幼いヘジンに「自閉症」という言葉を話すことになるでしょう。
ヘジンはその言葉を喜び、恐れずに受け取ることでしょう。
なぜなら母親と違って、ヘジンは障害に対する偏見を知る前に、すでに自閉症の人を愛していたからです。
(出典・画像:カナダcbc)
まわりにそうした子がいる、いないでは、そうした子に対する自分の見方、そして自分に対する自分の見方が大きく違ってくるように思います。
そしてその経験は、そうした人だけでなく、そうでない人の自分の考え、生き方も多様にしてくれるはずです。
うちの子が通う地域では、特別支援学校の子が普通学校に年に数回行くような制度があります。
しかしそれでは、子どもだった私が見たような、迷い込んだ珍獣を見るような状況を想像してしまいます。
逆に、普通学校の子が特別支援学校に行くほうが、珍獣だらけのジャングルに迷い込んだように学べることが多いように思います。
(チャーリー)