- 自閉症スペクトラム障害(ASD)の症状が男の子と異なる場合、診断されにくいのか?
- 自閉症が症状として現れる一般的な年齢は何歳頃なのか?
- 自分の声を見つける手助けになる方法として、ライティングは有効なのか?
ライターになることは、自分の声を見つけるのを助けてくれました。
自分の意見を作る、共有するという意味だけでなく、話すことができなかった私を助けてくれたのです。
私は21歳の時に自閉症スペクトラム障害(ASD)と正式に診断されました。
米国立精神衛生研究所は、ASDまたは自閉症を「コミュニケーションと行動に影響を与える発達障害」と説明しています。
自閉症は何歳になっても診断される可能性がありますが、一般的には2歳程度で症状が現れます。
しかし、私が自閉症を説明するなら、それは脳内の配線が違うだけです。
私にとって自閉症とは何かを説明するのにいつも苦労していました。
それは私の一部であり私だからです。
私が幼い頃は、自閉症とは診断されませんでした。
それは、自閉症と診断されるのが女の子よりも4倍も多い男の子の症状とは違ったからです。
どういうことかというと、私は自閉症のステレオタイプの症状にはあてはまりませんでした。
つまり、アイコンタクトできないのが普通の症状なのに、私はアイコンタクトができました。
高校生になってから自閉症について知り、私の点と点がつながり始めました。
なぜ私が他のみんなとは違うと感じたのかを、自閉症は説明してくれました。
私は表の自分と内の自分は違っていると感じていました。
本当の私は理解されていない、見られていない、聞いてもらえていないと感じていました。
私は小学4年生まで話すことができなかったことを母から聞きました。
私は本当は自分が話せたのを憶えています。
なのに、そう言われたのはショックでした。
私は自分が話したときに相手が奇妙な表情をしていことを憶えています。
自分が何を言いたいのか、どう言えば良いのかは正確にわかっていました。
しかし実際に、口から出てくるのはまるで言葉になっていない赤ちゃん言葉でした。
誰も私の言うことを理解できませんでした。
理解しているのは自分だけでした。
私が幼い頃からイライラしやすく、落ち込んでいた理由や、ひどくいじめられていた理由もこのせいでした。
私は5歳の頃からうつ病になっていたのを知っています。
自分を嫌っていて、消えてしまいたい、誰かに知ってもらいたいと思っていました。
それがきっかけで私は書き始めました。
物語を書きました。どこでも、書きました。
それは私にとってほとんど治療のようなものです、それが子どもの頃にゲームでよく遊んだ理由にもなります。
自分ではない世界に逃げたかったのです。
なので、ゲームについて書いたり、ゲームをプレイしたりすること助けとしていました。
それは今でもです。
私は学校では言語療法、理学療法、行動療法も受けていました。
そのため、一日中頻繁に授業を休むことになりました。
時間の数え方やおつりの数え方など、学ぶべきことの多くを学ぶことができませんでした。
これらのことを学んだのは大きくなってからです。
クラスメイトと同じペースで勉強できない自分には腹が立ちました。
そのせいでパニック発作がひどくなり、髪の毛が抜けるほどでした。
母はどうしたらいいのかわからないまま、ただ一人の親として私を助けようとしてくれていました。
なので、当時の私がゲームで遊ぶことも許してくれました。
その頃、私がお店でゲームを探していると、ゲームの雑誌が並んでいるのを見ました。
私はそれらのいくつかを読みました。
そして、「ゲームについて書く」ことを知りました。
私もこんなふうになりたい。ゲームライターになりたい。
自分自身をもっと鍛えて、今の段階から抜け出したい。そのきっかけとなりました。
私が伝え始めるようになったのもそのときです。
私の声を見つけるのを助けてくれました。
私を変えました。
自分自身をあきらめない、そして自閉症が私を妨げることはないことを知りました。
自閉症は私の一部であり、そして今は受け入れています。
ライターになることで、自分自身を愛し、自閉症を愛する方法を見つけました。
多くの人が私を疑っていました。
ここまで達成できるとは思っていなかったはずです。
私自身まだ疑うこともあったりしますが、もう私は止まりません。
自閉症と診断されたことは、私が幸せになることを邪魔しません。
私はライターになることで、文字を通じて自分の声を見つけたんです。
(出典:米The STATE HORNET)(画像:Unsplash)
できなかったことがあったからこそ、大好きですごくできるようになったと信じたいです。
こうした機会の出会いがあるように応援したいですね。
ゲームは自閉症の人たちが自発的創造的に取り組む療育方法になる
(チャーリー)