- 発達障害の子供がスーパーなど混雑した場所でどうしたら落ち着けますか?
- なぜ「みんな少しは発達障害」という言葉は適切でないのですか?
- 発達障害の診断を受けるにはどんな手続きが必要ですか?
先週のある午前中、たくさんの人が並ぶレジで娘と待っていました。
少し厳しい状況で、私と娘は困ってしまう時間も少しありました。
そしてより問題になるのが、娘はスーパーが嫌いなことです。
娘は人混み、におい、明るい光、すべての騒音、それらが本当に嫌いだからです。
娘には発達障害があります。
スーパーに来るときには、娘の感覚の困難を減らすためにヘッドフォンをつけて耳に音を入れないようにしています。
このときには、それだけではだめだったのでいつもポケットの中に入れてあるベロアの切れに手をこすりつけてストレスを減らそうとしていました。
レジを待っているそのときに、悪意なくある女性が私の娘のヘッドフォンについて質問してきました。
娘は発達障害である自閉症スペクトラム障害をかかえていて、感覚過敏の問題に対応するためにつけていると私は答えました。
それを聞いてその女性は笑顔でこう言いました。
「多くの人も同じです。みんな少しは発達障害ですからね」
そのとき私は口に出しませんでしたが、こう思いました。
「いいえ、違います」
発達障害と診断をされるためには、資格を有する医師などの専門家から評価を受ける必要があります。
複数の専門家を相手に、複数回診断する機会を求められることもあります。
家族にとってはとても負担になるプロセスとなることもあります。
そして、発達障害は好きなときにいつでも外せる、帽子のようなものではありません。
発達障害と診断された人にとっては、生活のあらゆる場面で、そして生涯ずっと続くものです。
私は発達障害の男性と結婚をし、3人の発達障害の子の母です。
発達障害は一人ひとり症状が異なります。
日常生活において、社会的な場面、コミュニケーション、感覚に問題をかかえることが多くあります。
そしてこれは、その人の意思決定や他者との関係、そして人生に大きな影響を与えます。
発達障害の中で、いわゆる高機能自閉症の人たちでさえも、多くの苦労をかかえています。
そして、発達障害のような目に見えない障害であると、他の人には理解されづらいため、他の人たちと同じように振る舞うことを暗黙に求められることがあり、されがさらに困難なものにさせます。
善意であっても、「みんな少し発達障害」というのは発達障害と診断されている人にとっては何もありがたい言葉ではありません。
誰もがみんな同じように考えていても、実際には私たちは違います。
障害をかかえていて、生活に影響が出ているのです。
さらに、私の娘の発達障害は「少し」ではありません。
しかし発達障害と診断されたことで、娘はサポートを受けることができるようになり、娘の大きなアイデンティティの一部をなすものになっています。
誤解や正しく理解していないことは、誰にも良いことにはなりません。
同じではなく、「違う」ことを受け入れてください。
もっと知って正しく理解してもらえれば、発達障害の人たちももっと良く過ごせます。
(出典:豪kidspot)(画像:Pixabay)
みんな違って、みんな同じ。
みんなが違う。そして、みんなが違いを同じく持っているというふうに私は思っています。
そして、その程度が大きく、違うと認識されるだけでは困ってしまう人は「障害者」とし、サポートする。
そういうことだと思います。
おかげで、うちの子は特別支援学校に通えたりでき、親子幸せに過ごすことができています。本当に感謝です。
私は発達障害の娘を迷惑だと思われる場所には連れて行かない
(チャーリー)