- 発達障害や自閉症をニューロダイバーシティに含めるべきか?
- 自閉症を医療的な視点で捉えるときとニューロダイバーシティとして捉えるときの違いは?
- 発達障害や自閉症を持つ人たちにはどの視点が適切か?
「ニューロダイバーシティ(神経多様性)」について考えることがあります。
発達障害の自閉症はそれに含んでいいのでしょうか。
ニューロダイバーシティとは、広範囲な神経学的多様性を障害ではないと考えます。
それは医師が自閉症、ADHD、失読症など診断した人たちの多くも含む考え方です。
自閉症は医療の立場から障害について説明するものです。
このアプローチは主に「できないこと」にもとづいています。
ニューロダイバーシティは、自閉症の人や支援する人たちから生まれた言葉です。
発達障害の自閉症やADHDも神経機能の範囲内において正常で健康であるという前提で、それは才能でもあると考える人たちに支持されています。
自分自身を障害者だと考える人は、医学的な観点を受け入れる可能性が高くなります。
重度の自閉症の人と暮らしている家族は、深刻な医学的な問題ととらえ、健康であると考えるニューロダイバーシティとはとらえないでしょう。
障害ととらえる医療的な自閉症と「ニューロダイバーシティ」、それぞれの人にとってそれは合理的な視点です。
しかし、両方の視点をもてる人は多くありません。
自閉症を深刻な医学的問題と考える人は、ニューロダイバーシティが自閉症を見過ごせるようなものにすると感じています。自分で頭を叩いたり、糞便を塗ったりするような行動をする人も障害ではなく「ニューロダイバーシティ」に含まれるのかと主張します。
ニューロダイバーシティの支持者は、多くの自閉症の人たちはそうした行動はとらないと指摘し、自閉症の人はもっと受け入れられるべき存在で、そうした社会が良いといいます。
多くの場合、自閉症の人は10代になるとこれらの考え方が深刻なものになります。
重度の障害をかかえる人は特別支援を必要とする人と呼ばれ、行政からの障害者支援サービスを利用します。
これらの多くの人は失業しています。
一方で、自閉症の人の多くが知的レベルは高く特別支援も必要としていません。
自閉症でない人に近い人たちです。障害者支援サービスの利用も自ら断っていたりします。
特別支援クラスの教育内容は、自分にとっては足りない、関係のないものと思っているかもしれません。
すべてを隠して、「自閉症でない人」として生活したいと思うかもしれません。
それでうまくいく人もいます。しかし、そうした多くの人はいつにか精神的な問題をかかえることになってしまうことが多くの研究で報告されています。
自分自身を肯定的に思っている自閉症の10代の人たちは、自分の人生をとらえる方法として、ニューロダイバーシティを受け入れます。
有名大学に入学できる自閉症の人は、障害は軽度な一方でそれに勝る能力を持っている傾向があります。
そして、そうした人たちは獲得したポジションとコミュニケーション能力の高さから強い発信力を持っています。
物理学の天才学生と、自分の考えを話すこともできない自閉症の人の間の類似性に気づいていないかもしれませんが、どちらも医学的には同じような診断をされる可能性があり、ニューロダイバーシティの例になるでしょう。
ある人を医療的な自閉症ととらえるか、ニューロダイバーシティの一人としてとらえるかは、その人の選択次第です。
他人に障害者と思われても、本人はニューロダイバーシティとして認めてほしいと考えているかもしれません。
他人には天才と思われていても、本人は障害を感じ、困難の軽減を望んでいるかもしれません。
ニューロダイバーシティは、人間が存在している限りの事実です。
しかし自閉症はそれに含めてしまうものではないでしょう。
多様性は生命が進化をするために存在し、その中には健全なもの、そして命を脅かすものがあります。
障害のある特定のセットを説明する自閉症は、20世紀に生まれました。
自閉症自体はずっと人間のニューロダイバーシティに含まれてきたはずです。最近名付けられただけです。
自閉症はニューロダイバーシティに含まれる一形態ですが、重大な障害をかかえていることを示すための定義です。
ニューロダイバーシティと医療的な自閉症、どちらも常に存在している人間の状態を説明しようとする試みで、正しい答えも間違った答えもない。
そうアスペルガー症候群の私は考えています。
(出典:米Psychology Today)(画像:Pixabay)
私自身はずっと前から、それこそ幼稚園生の頃から多様性には全く賛同しています。
ですが、重度の発達障害、自閉症で知的障害もあるうちの子を多様性で済ませることはできません、支援を頂いている障害者です。
なのでニューロダイバーシティの代表のように思える、メディアに出演される発信力がある「発達障害」の方たちだけでなく、私としては発信することもできない特別支援が必要な発達障害の人たちにも、関心を持って頂ければと願います。
発達障害当事者の私が思う「ニューロダイバーシティ」の問題点
(チャーリー)