- 1. 良いことも悪いこともある特性があるのはなぜ?
- 2. 発達障害の人が理解してほしいことは何?
- 3. 発達障害の人を受け入れるためにはどうすればいい?
「あなたが何度も何度も言い訳をするのにもううんざりです。聞きたくありません。」
学生だった頃に私は大人にこう言われました。
「言い訳」の禁止は、高機能自閉症の私にとっての思い出す方法を取り上げることだということは知らなかったのでしょう。
発達障害である場合には、そうでない人たちの間では当たり前のこととして考えられている暗黙の了解がわかりません。
また、自分が好きなことについては長々と話すことができます。
こうした特性は、良いこともあれば悪いこともあります。
発達障害のために、私が屈辱や拒絶を感じたり、人生の目標を後退させられたりした、私の数多くのエピソードの一つです。
私が正しく反応すると、発達障害でない人に怒りを感じさせてしまいます。
発達障害による特性に問題がないとはいいません。
しかし、私たちは異なる機能を持っているだけです。
私は、発達障害の人を困らせる人のほとんどが、「発達障害の人は嫌い」などのようには思っていないことに気づきました。
そうした人たちは、発達障害でない人たちの間でのコミュニケーション方法に慣れ切っているだけです。
そうしたコミュニケーション方法とは異なる発達障害の人のコミュニケーション方法に慣れることができないために、敵意を持ったり、軽蔑や差別をしているのです。
発達障害でない人に理解してもらわなければならないことがあります。
差別的なことをしていることに気づいていなくても、それは許さることではありません。
誰かをわざと傷つけようとしていたのではない、事故のようなものですぐに悪人とされるのはおかしい、と思うことはもっともです。しかし、それは誤ちを認め、訂正したときだけです。
発達障害の人に対して差別的だと指摘されたときに、それを否定し不寛容であり続けるなら、誰の共感も得ることはないでしょう。
事故ではなく、わざとそうしていることになります。
誰かの行動が発達障害を理由に説明するともっともな場合、それはおそらくそうなのです。
また、発達障害でない人から「それは発達障害とは違う。」と私はよく言われてきました。
しかし、他の人たちとの関係がつらいものとなる、奇妙な振る舞いをわざと行う理由があるでしょうか。
私が奇妙な振る舞いを行う理由がわかるだけの、発達障害についての理解をしようとしていないだけです。
発達障害の特性のために人間関係が難しくなるのは、髪の毛の色が違う、顔に傷があるなどと変わりありません。
発達障害の人の特性を不快に思うことは、その人の自由です。その人の中で起きる問題です。
しかし、他の人を巻き込むまでの問題にする権利はありません。
私がこのようなことを主張するのは、両足に障害をかかえる人などと比べると、発達障害の人は伝えることが不器用なためです。
発達障害であっても、そうでない人と共存することが不可能であるわけではありません。
発達障害の人が困難をかかえるのは、多数の発達障害でない人が、発達障害の人の行動を好まないために批判的になるからです。
発達障害でない人たちが、そうしたことを止めれば、世界はもっと良くなるはずです。
発達障害の人を受け入れるのは簡単です。
・自分と異なる人にも優しくする。
・不快に感じたことを伝えるときには明確にわかりやすく、ていねいな言葉で伝える。
それだけです。とても簡単なことなんです。
(出典:米salon)(画像:Pixabay)
みんな違って、みんな同じです。
自分と違うことを理由に攻撃する、病的な人は確かにいます。多くはないと思いたいです。
違う人を受け入れることで、自分の世界も広がるはずです。
そして、発達障害の人だからといって遠慮はせず、わかりやすくていねいに言うべきことは言う。
結局、距離を置かなければならなければ、静かに置く。
そんなふうに思います。結局、発達障害に関わらない話だと思います。
発達障害などキャラを多様化させ、受容の重要性を伝えるセサミ
(チャーリー)