- 発達障害を持つことを受け入れることは、どれほど重要なのでしょうか?
- なぜ発達障害を隠そうとすると精神的な健康に影響を与えるのですか?
- 発達障害の特性をポジティブに捉えるためにはどうすれば良いのでしょうか?
親愛なる発達障害さん
いつからでしょうか?
あなたはいつも私とともにいました。
あなたは私が成長して、現在にようになるまでを見届けてきたと思います。
私を私にしてくれてありがとう。
私はあなたとともにいることを誇りに思っています。
私をユニークな存在にし、私を面白くしてくれてありがとう。
私に他の人とは違った特別な興味心を与えてくれてありがとう。
たとえ、どうでもよいことや忘れたい人をずっと忘れなくても、すごい記憶力を与えてくれてありがとう。
私の大事な部分になってくれていてありがとう。
申し訳ありませんでしたが、私はあなたのことを恥じていました。
私はあなたがいることをみんなから隠そう、知られないようにしようと思ってきました。
そうしてずっと長い間いました。
そのために私はあなたとの関係に悩み、私は病気にまでなってしまいました。
あなたにも、私にも不幸なことでした。
あなたを隠すことで、私の精神的な健康に影響が出てひどい状況になってしまったのです。
もう私は、あなたを隠そうとするべきでないことを知っています。
私が幸せに生きていくためには、あなたを抱きしめて、あなたと一緒に進んでいかなければなりません。
何よりも重要なことは、あなたを受け入れることです。
今の私は、あなたが私の一部であることがわかっています。
誰かが、あなたのことを嫌ったり、あなたといるために私のことをおかしく思っても、それは私たちの問題ではありません。
問題はその人にあります。
私は他の人とは違っているんです。
あなたなしでは、私は幸せにはなりません。
もちろん、あなたがいないほうが、私はよかったのかもしれないと思うかもしれません。
しかし、人間誰にでも欠点はあるものです。
音に敏感にならなかったり、人が言う冗談なども理解できたらよいかもしれませんが、それでも私はそれが悪いことだとは思いません。それよりもあなたと一緒にいるほうがうれしいです。
私は私なりに、家族や友人の助けも借りながら、あなたと一緒にうまくやっていきたいのです。
あなたが今の私になることを助けてくれました。
私はあなたと一緒に人生を歩めてきたことに感謝をしています。
私はあなたのことを嫌い、拒絶もしていました。
しかし、今はあなたを受け入れることを理解しています。
これからもよろしくお願いします。
(出典:米The Mighty)(画像:Pixabay)
違っていいんです。
不都合はあるかもしれません。しかし、悪いことではありません。
環境が違えば、むしろ良いようにもなるはずです。
違うのは当たり前のこと。
それぞれが違う、人の多様性はこれまでの人類史でもこれからも求められる必然であり素晴らしいことです。
誰もが自分らしくのびのび生きれるように願います。
発達障害の人の特徵となっている能力で人類は氷河期を生き延びた
(チャーリー)