- デリック・リー・アンダーソンはラジオを聴いていて、自分も話をしたいと思ったの?
- アンダーソンは高機能自閉症で、ラジオ局で働くことにどんな困難を感じていたの?
- アンダーソンがDJとして活躍する姿を見た家族や友人は、どんな反応を示したの?
ラジオ局WLAFは、64年間にわたって、米テネシー州キャンベル郡の小さな町の人々に支持されています。
ある若者がずっとラジオを聴いていました。そして自分も話をしたいと思っていました。
発達障害のデリック・リー・アンダーソンは17年前、高校で校内放送をしていました。
そのこともあって、ラジオ放送もしてみたいと思っていたのです。
そして、32歳になった今、アンダーソンは夢を実現しました。
毎週、月曜日と金曜日WLAFラジオで番組を放送しています。
4年前、アンダーソンはWLAFのオーナーのジム・フリーマンのところに仕事をしたいと訪れました。
「アンダーソンはこう言ったんです。
「私はデリック・リー・アンダーソンです。
昨晩、教会にいたときに、いい声をしているねとほめられました。
なので、ラジオ局のあなたに会う必要があると思ったんです。」
私は、ぶったまげました。」
そうフリーマンは言います。
「すると、僕はフリーマンのオフィスの中に呼んでもらえて、ラジオ局の中をいろいろ見学させてもらいました。」
アンダーソンがそう続けます。
アンダーソンはラジオ局で働き始めました。
DJブースの放送音響機器の操作方法を学びました。
高機能自閉症のアンダーソンにとって、それは難しいものではありませんでした。
問題なのは、1対1で人とコミュニケーションをとることです。
「アンダーソンは、人に電話をかけたり、会話を続けたりすることは苦手です。」
フリーマンはアンダーソンにDJとしてラジオ放送をする機会を与えてみることにました。
「マイクの前に座ると、まるでアンダーソンはDJのために生まれたかのようでした。」
フリーマンは驚きました。
「素晴らしい声をしています。素晴らしい存在です。
言葉も完璧です。」
一時間後には、毎週2回、アンダーソンがDJとなり放送することが決まりました。
「初めて、私がそのことを聞いたときには、涙が出ました。
本当におめでとうと心から思いました。」
アンダーソンの母親のベティはそう言います。
「放送を聴いた時、アンダーソンではないと思いました。
とても堂々とした声で、完璧に行っていました。」
長年の友人のブレント・マクニーリも言います。
アンダーソンのDJに驚かなかったのは、アンダーソンだけでした。
アンダーソンはこう言います。
「私がうまくいっているのは、私がラジオ向きの声をもっていたからです。」
(出典・画像:米WATE.COM)
ご本人もラジオ局もいろいろ破天荒で、なんだか元気に楽しくなる話です。
こういうことが起きる世界もあるのです。
決められたことばかりで窮屈になりがちな世界だけではないのです。
(チャーリー)